どうも、トレードアイデアラボの猫飼いです。
億り人、という言葉を、最近ほとんど聞かなくなった。
かつてはネットのどこかに必ずいた。少額でレバレッジをかけ、一晩で人生が変わった人。あるいは、変わったように見えた人。FXのチャートの前で夜を明かし、翌朝には「自由」を語る。あの熱は、たしかに一時期の空気だった。
それが、いつの間にか死語になった。派手に葬られたわけではない。ただ、誰も使わなくなった。言葉は、熱が冷めると静かに消える。
消えた理由は単純ではない。若者が夢を見なくなった、という言い方は少し違う。夢の形が変わったのだ。一発で億を目指す代わりに、非課税枠を埋め、オルカンを積み、ポイントを投資に回す。初任給の一部をNISAに入れる新入社員が、いまは珍しくない。20代の買い付け額は、制度開始時と比べて桁が変わった。投資は「特別な人の賭け」から「普通の人のインフラ」になった。
その変化は、正しい面をたくさん持っている。レバレッジで人生を壊すより、時間を味方にした方が再現性がある。物価が上がり、預金では価値が守れない時代に、何もしない方がよほど危うい。若者は臆病になったのではない。勘定が高くなったのだ。
だが、新しい夢にも盲点がある。
「株式やFXは難しいから勉強しない」「リスクは負いたくない」。この言葉は慎重に聞こえる。実際は違う。中身を理解せず、出口も決めず、使う時期の直前まで同じ比率でリスク資産を置き続けるなら、それはローリスクではない。最後の数年で相場が壊れれば、目標の手前で計画ごと沈む。考えない積立は、期末にリスクをまとめて受け取る契約である。
昔の火傷は派手だった。ロスカット、追証、画面の赤い数字。今の火傷は地味だ。生活費を削って枠を埋める。暴落で慌てて売る。現金が足りなくなって、積み立てたはずの未来を先に取り崩す。名前は「NISA貧乏」や「現金枯渇民」に変わったが、余裕資金の原則を外している点では、昔の一発屋と似ている。
億り人という言葉が死んだ日は、誰かの破産宣告の日ではない。もっと日常的な日だ。誰かが「一発当てたい」と言わず、「とりあえずオルカン」と言った日。SNSの英雄譚より、つみたて設定のスクショが共有された日。レバレッジの話より、生涯投資枠の消化ペースが話題になった日。
それでも、完全に夢が死んだわけではない。夢は、小さく、長く、制度の内側に引っ越した。派手さは減った。その代わり、参加者が増えた。問題は、参加者が増えたことではない。増えた人の多くが、自分はリスクを取っていないと思っていることだ。
言葉は死ぬ。 Habit は残る。
一攫千金を笑えるようになった世代が、次に問われるのはその点だ。勉強しないことを安全だと呼ばないこと。出口まで設計して、はじめて積立は積立になる。
億り人は死んだ。
残ったのは、地味で、正しくて、だからこそ見誤ると高い、新しい賭けである。