データ分析では、見た目には普通の表や行列に見えても、計算にかけた瞬間に止まることがあります。
今回扱ったのは、公開されているゲノム関連データから作った LD行列 です。
LDとは Linkage Disequilibrium の略で、ざっくり言うと、遺伝子上の変異同士がどれくらい一緒に現れやすいかを表す関係です。
ただし、今回の検証は医療判断や遺伝リスク判定ではありません。
目的はあくまで、公開データから作った相関行列が、数値計算上きちんと扱えるか を調べることです。
なぜ行列が壊れるのか
共分散行列や相関行列は、理想的には「正定値」という性質を持っている必要があります。
正定値でないと、たとえば次のような計算が止まります。
Cholesky分解
逆行列を使う計算
二次形式の評価
統計モデルや最適化計算の一部
現実のデータでは、丸め誤差、欠損、サンプル数不足、外部データからの再構成などによって、行列が厳密な正定値にならないことがあります。
今回も、公開LDデータから作った行列で、実際に Cholesky分解が失敗しました。
今回の検証内容
今回は、1000 Genomes / Ensembl REST 由来の公開LDデータを使い、3つの染色体領域を対象にしました。
それぞれの領域から、N=300 の LD行列を作成しました。
結果は次の通りです。
対象領域数:
3
各行列サイズ:
N=300
通常のCholesky分解:
3件すべて失敗
Nearest SPDによる修復:
3件すべて成功
Guarded SLQの再現性確認:
3件すべて成功
つまり、公開データから作った行列で、実際に「計算が止まる」状態を確認し、それを数値的に修復できることを確認しました。
Nearest SPD とは
Nearest SPD とは、壊れた行列を、できるだけ元の形に近い「正定値行列」へ修復する方法です。
むやみに数値を作り替えるのではなく、元の行列からのズレをできるだけ小さくしながら、計算できる状態に戻します。
今回の検証では、3つの行列すべてで修復に成功しました。
修復後は、最小固有値が正になり、Cholesky分解が通る状態になりました。
重要なのは、修復量を記録していることです。
「なんとなく直した」のではなく、修復前後の差分を確認しながら進めています。
SLQ はどう扱ったか
今回、Guarded SLQ という確率的な計算方法も確認しました。
SLQは、大きな行列の対数行列式などを近似的に調べるための方法です。
ただし、確率的な推定なので、厳密計算の代わりとしてすぐ本番利用するのは危険です。
そのため今回は、
再現性チェック:
OK
本番利用:
NO
という扱いにしました。
動いたから採用するのではなく、どこまで信用してよいかを分けて管理することが大切です。
今回わかったこと
今回の検証で確認できたことは、次の3つです。
公開LDデータから作った N=300 の行列でも、Cholesky分解が失敗することがある
Nearest SPD を使うと、正定値行列として修復できる
SLQ のような確率的手法は、再現性を確認できても、本番利用には慎重な判定が必要
これはゲノム解析そのものの結論ではありません。
病気のリスクを判定したわけでも、PRSを計算したわけでも、fine-mappingを行ったわけでもありません。
あくまで、データ分析の土台になる 行列計算の安定性 を検証したものです。
こういう問題に対応できます
同じような問題は、ゲノムデータだけでなく、いろいろな分野で起きます。
金融リターンの共分散行列
統計解析の相関行列
機械学習のカーネル行列
センサーや観測データの誤差共分散
研究シミュレーションの共分散行列
Python / NumPy の Cholesky エラー
行列が壊れていると、分析の中身に入る前に計算が止まってしまいます。
その場合は、まず次のような点を確認する必要があります。
最小固有値はどうなっているか
ランク落ちしていないか
条件数が悪化していないか
修復してよいタイプの問題か
修復後のズレはどの程度か
まとめ
実データから作った相関行列や共分散行列は、理論上きれいに見えても、数値計算では壊れることがあります。
今回の公開LDデータ検証では、N=300 の行列3件すべてで Cholesky分解が失敗し、Nearest SPD による修復は3件すべて成功しました。
壊れる行列を検出する
修復できるか確認する
修復量を記録する
本番利用してよい範囲を分ける
この流れを作ることで、データ分析の土台をかなり安定させることができます。
派手な予測や大きな主張よりも、まず「計算が止まらない土台」を作ること。
実務のデータ分析では、そこがとても重要です。