「これは価値がある」
私たちは、ときどきそう言います。
高価なもの。
多くの人から評価されるもの。
生活の役に立つもの。
お金を生み出すもの。
たしかに、どれも価値の一つです。
しかし、値段が高ければ価値も高いのでしょうか。誰にも評価されなければ、価値はないのでしょうか。
私は、そうとも限らないと思います。
例えば、子どもが拾ってきた丸い石。ほかの人には、ただの石に見えるかもしれません。しかし本人にとっては、旅の途中で見つけた宝物です。
古い手紙、昔の写真、友人からもらった言葉。市場では値段がつかなくても、捨てられないものがあります。
価値には、少なくとも二つの顔があるようです。
一つは、社会が決める価値です。
価格、売上、資格、順位、閲覧数。「多くの人が欲しがる」「役に立つ」といった、ある程度は数字にできる価値です。
もう一つは、自分が感じる価値です。
楽しかった。
心が少し軽くなった。
今日を過ごす助けになった。
なぜか忘れられない。
こちらは、なかなか数字にできません。
仕事やサービスでは、相手に役立つことが大切です。けれど、人の役に立つものだけを作ろうとすると、少し苦しくなることもあります。
自分がおもしろがって作ったものが、偶然、誰かの気持ちに触れる。そんな順番もあっていいはずです。
誰にも頼まれていない文章を書く。
売れるかわからないものを作る。
くだらない思いつきを試してみる。
それは無価値なのではなく、まだ価値の行き先が決まっていないのかもしれません。
もちろん、何でも「自分には価値がある」と言えば、お金になるわけではありません。商売では、相手が感じる価値と出会う必要があります。
しかし、売れないことと、価値がないことは同じではありません。
価値とは、物の中に最初から入っているものではなく、人と物、人と言葉、人と人との間に生まれるものではないでしょうか。
同じ一杯のコーヒーでも、急いで飲む朝と、誰かとゆっくり話す夜とでは、価値が違います。
だから価値は、固定されたものではありません。
昨日は何でもなかったものが、今日の自分を助けることもある。自分には不要なものが、別の誰かには宝物になることもある。
「これは、いくらになるだろう」
そう考えることも必要です。
それと同時に、
「これは、誰の何を少し変えるだろう」
と考えてみる。
その問いの中に、値段だけでは測れない価値が見えてくる気がします。