Xで投稿した言葉

Xで投稿した言葉

記事
学び
これまでXのアカウントででポストしてきた、自分が思った社会や人生、ニンゲンに関する言葉をまとめました。

賢くないから、ここまで頑張れた。
賢くないから、これからも頑張れる。

もし細木数子さんが生きていて、俺の考え方が気に食わなくて「地獄に落ちるわよ!」って言ったらこう答えるだろうよ。
「ハズビンホテルみたいな個性的な悪魔と歌で溢れた素敵な場所に行けるなら最高だぜ!」

昆虫とは、桶に入った苦い水よりも、花にあるほんのわずかな蜜に集まる。

他人がどのくらいのボーナスを貰ってるかなんてどうでもいい。
僕は、僕がお金をもらえるくらい、社会的に価値のある人間かどうかが知りたい。

この世界には金塊よりも数百倍の価値があるヘリウムスリーという物質があるらしい。でも、ぼくがそのヘリウムスリーよりも数千倍の価値があるものを知っている。
それは「頑固な人間に甘ったれていると批判されるくらいの【優しさという一滴の蜜】」だ。

人間らしい大きな夢を抱く人は素晴らしい。
しかし同時に夢を抱かず、ただ呑気に生きていながら、希望も目標も持たずただ黙々と社会的に正しい仕事をこなす人も素晴らしい。ニンゲンらしい無責任さを持つ人も必要だ。

今こそ、この日本には必要なんだ。
令和の植木等と呼ばれるべき存在が。
いないなら、僕がなる。

日本にいる漫画家やイラストレーター、そして同人作家が全員成功した場合、日本という国は完全に無力になります。なぜなら、産業の基本的なバランスが崩壊し、食糧難に陥るからです。

犯罪を未然に防ぐ、といってもそれがあらぬ方向に向かう事を覚悟しなくてはならない。
一例を挙げると、
「万引きを防止するために店を放火した。」
「痴漢を防止するために電車内の女性を殺害した。」
未然に防ぐという考え方は称賛に値するが、これは決して行ってはいけない犯罪。

殆どの日本人はハズビンホテルのヴィジュアルデザインばかりに見とれている。しかし、「罪人の更生」にすべてをかけるチャーリーの強い意志に同感する日本人は少ない。

罪の後の刑罰ばかりを考えるな。
罪を犯す前にどうやって救えるかを命がけで考えろ。

経済的に豊かになればなるほど、そこにいる人間の心はより貧しくなる。

忘れてはならない、植松聖の思想も、宅間守の最後の願望も、すべて合法だったということを。

憎しみや不満がが渦巻くこの暗闇のような世間で僕はその暗闇で苦しんでいる人を導く、一つの小さな星明りになりたい。

救えたはずだ、被害者の命も、同時に加害者の命も。

もし俺が死んで、閻魔様にジャッジをくらうときは、
進んで「ハズビンホテルのある地獄に落としてくれ!」
って頼むだろうよ!

目標を目指すとき、最初のうちは誰かの模倣だったり、マニュアルやお手本のようにやってもいい。だが目標達成のための最後のステップには君自身の想像力と思考力が試される。最後まで考える力を捨ててはならぬ。

無理なことはせず、自分が楽しいと思う事を目標に努力しましょう。お金や将来のことは気にする必要はありません、ちょっと努力することを積み重ねていれば、どうにかなります。

アニメ好きなのは別にいい、ただ、万が一の予備としてそれ以外の何かを2,3個くらい好きなものにしといたほうが良い。

みんなも希望にケツをむけちゃだめだぜ!

仮に、アニメや漫画、ビデオゲームが規制されても、
僕にはまだ児童書籍、絵本、紙芝居という希望が残っている!

ブロックされたからといってなんなのだ?
ブロックされた理由を考えて、
また別に人をフォローすればいいじゃないか

すべての人間は、生まれた瞬間から、囚人である。

夢を抱き続けよ。魂が燃え尽きても、夢は永遠に語り継がれる。

理想していた物と現実が大きくかけ離れていても大丈夫です。その理想という夢を抱いていたことに意味があるのですから。そして一番重要なのは、そういう場合は好きなだけ諦めてもいい。

変わり続けることも、変わらないままなのも、美しい事です。

PixivでもX(twitter)でも同じです、注目すべきは、フォロワーではなく、あなたがフォローした人数とそれがどういう中身なのかどうかです。それは、あなたの好奇心の化身です。

そら発達障害じゃない普通の人でも、ずっとごきげんなこたないよ。人には必ず落ち込んだり自分が嫌になったりすることはあるよね。

ストレスを解消するためにお金を使う事が最善の方法なら、できるだけ使え。それで金欠になったら「やっちまったぜ!」って笑い飛ばせ。

好きなものがあって、それに情熱を込める人はリスペクトする。でも、情熱が燃え尽きて途中であきらめてしまう人を沢山見てきた。対象が何度でも変わってもいいからとにかく何かに情熱を込めることを止めないこと。

称賛は人が成長するために必要のものですが、 もらいすぎると、感覚がおかしくなります。

経済的な豊かさだけのために効率性やパフォーマンスばかりを気にして、時間をかけて積み重ねるという夢を実現する唯一の手段を忘れているんですよ、今の先進国の人たちは。

結局のところ、ビデオゲーム、トレーディングカードゲーム、アニメ、漫画とかは不健康と思われがちなギャンブルとあまり変わりません。楽しむほうは、多めに金を払い、売る側は、その金の一部を収益として得る。

ゲームや漫画、アニメとかのたぐいのいわゆるサブカルチャーを楽しむことは否定しません。むしろ、それは推奨することです。
ダメなのは、辛いことから逃げるためにそれらを逃げ道にしてしまうこと。

不満やストレスは預金に似ている。 ため込みすぎると、心と体によくない。

発達障害というのは、
社会に何かしらの貢献が出来ると同時に、
社会秩序をぶち壊してしまう可能性もある
文字通りの「諸刃の剣」だと思ってます。

違うものと調和することは、対立することよりも遥かに難しい。でも、それが出来たら、対立よりも遥かに良い結果が待っていることは間違いない。

描くたびに絵柄が変わることを嘆く必要はない。
それは変化し続けること、つまりは「常に進化している」証拠。
どれだけ描いても、絵が上達しないことを嘆く必要はない。
それは貴方らしさを保っていること、つまりは「あなたという伝統を守り続けている」証拠。

僕は間違いなく、絵を描いたり、想像のような妄想くらいしかできない馬鹿と呼ばれる種族だ。でも、そのおかげで人生のすばらしさを理解できたし、その好きなことのために仕事をして社会に奉仕する意味をちゃんと持つこともできている。結局は僕の生き方は僕にしかできない。

どんなに劣悪でもいいんだ、貴方らしく生きてほしい。
そこから、正しさを見つけ出せるのなら。

転売される可能性があると十分わかっているのに、何故、人気キャラクターのグッズやカードを売ろうとするのだろうか。

挫折や失敗をせずに成功したというのなら、
それは成功とはいえない。

あなたがどういう考え方でどういう人間かはどうでもいい。
僕があなたについて解っているのは、
あなたは、あなたの夢という物語の大切な主人公であるということ。

人気者になりたければ、
アンチ、無断転載、転売、モラルの無いファンといった
リスクを受け入れる覚悟が必要になってくる。
あなたは人気者になりたいですか?ならこれくらいの覚悟はありますよね?もしかして何も覚悟なしで人気者になろうとしてません?

今すぐにでも日本人が捨てるべき思考は二つある。
「みんな出来てるんだから貴方もできる。」という同一化。
「貴方より辛い人もいるんだから甘えないで。」という、他人の価値観の押し付け。

多くの日本人が勘違いしていると思うけど、
努力を単純に「つらいことを我慢する」だけだと思い込んでいる人が多いような。
確かに、努力にはそれも含まれる。けど、その努力の過程には「楽しい」とか「嬉しい」って思える事がたくさんあるもんじゃないのかな。

真に自由であることとはつまり、「まず相手の自由を尊重する」ことか始まるものだということに気が付いた。
自由とは人の心に建てられた「家と庭」だ、自由を守るためには、その人の領域に無断で入り込んではならない。

ビデオゲームなどのサブカルチャーにハマっているお子さんが心配な親御さんに助言。

「確実ではないが、幼いうちに好きなことをさせとくと、大人になった時に飽きて普通の性格になる一方で、制限すると大人になってからそれを爆発させる可能性もあります。」

今の状況で日本が「生きる権利」ではなく、「生きる義務」を法律で定めると、日本はたちまち無力になります。
なぜなら、日本にはその義務に違反した人を収容するスペースの刑務所が無いからです。

オーディエンスに自分の創作の矛盾を突っ込まれたら、ためらわずこう返しましょう。

「ロマンだろ。」

生まれつきの性格ゆえの特技である「才能」と、
最初は無かったが努力した結果手に入れた「才能」を比較した場合、努力して得た才能の方がはるかに頑丈で壊れにくい。努力したことによってそれに相応した強い基礎(もしくは根っこ)が築かれているから。

僕が「目標を達成した」と思ったら、間髪入れずに「次の目標は…」と続けます。夢でも同じです。夢が叶ったら、次の夢を考えてみましょう。夢は永遠です、宇宙よりも明確に。

「真の敵とは、自分の中にある『弱さ』。貴方が秘めたその敵を倒した時、あなたはビデオゲームのレベルアップよりも大切なレベルアップができるでしょう。」
これが、創作TRPG「獸暦~CODE:XENO~」にこめた想い。

ビデオゲームとトレーディングカードゲームは
もはや「遊び」の領域を超えた「ビッグビジネス」だ。
これらのゲームに対して莫大な経済が動いている。
そのせいで、今までの遊びでは無いはずのトラブルや犯罪といったリスクも出てきた。

もし、ゲームを作る機会があるなら、クソゲーとか神ゲーとかは関係ない。
「社会的に、価値を見出せるゲーム」を作りたい、
かといって、子供だましの教育ゲームにしたくもない。
「気づいたら、学んでいるような遊び。」これだよ。

ニンゲン、無理だと思っても、「大丈夫!いつかできる!」と思い続ければ意外とできます。
逆に、最初から「できるぞ!」と思ってやってみると、できないことに気が付き落ち込むこともあります。

イラストや小説といた創作以外にも言えることだけど、
最初は他人の説明するマニュアルに従ってもいいけど、最終的には自分で考える力が必要になってくるよ。
知識がある程度かたまったら次は想像力を使うんだ。

現実とゲームの世界を区別するためにも、それと同時にクソゲーにならないためにも、ゲームにこれ以上リアリティを追求するべきではない。

独身税ねぇ…誰にも縛られずに自由に生きられるならそれくらいは国に寄付するつもりでもいいよ。

「日本をなめるな」という日本人がいるのはごく自然なことです。
僕は日本をなめません。嚙み砕きます。

「馬鹿に銃を持たせるのは、持たせた人が自殺するようなもの。」

合衆国の銃事情を見ればこれは一目瞭然。

創作に関してわかったことがある。
創ってすぐに見たら、「なんかなぁ…」と思っても、
しばらく時間がたって見たら「…ええやん!」って思えるってこと。二日目のカレーと同じだ。

本当に頭のいい人は、ちょっとだけいればいい。
国民全員が弁護士だったらそれはそれで困るでしょ

本当に賢い人間ってのはね、定められたルールに従いつつも、そのルールの範囲内で自由を見つけられる人のことを言うんだよきっと。

今の夢?「キング牧師が夢見ていた理想の世界をこの日本で実現する。」ことかな。

靖国神社参拝のことは「戦争犯罪を犯した人を称えるためではなく、人々を戦争に巻き込んでしまった過ちを繰り返さないため。」とちゃんと理由を伝えれば、反日感情は減ると思います。

一方的に主張して威張るから反発されるのです。
相手を理解したうえで、自分の考えを伝えれば、
ある程度は相手に理解させることはできます。

昔からゲームを遊ぶことが好きなんじゃなくて、ゲームを遊んでその楽しさを元に「僕だったらこんなゲーム作りたい!」と想像を膨らませるのが好きだったような。それが今の創作の原点なのかもね。

発達障害の僕から言わせてもらうと、
自分に限界を作らないは間違い。
正しいのは「自分の限界をしっかり理解してそれを超えない範囲内でベストを尽くす。」

「まだ自分に嘘ついてるつもり?堂々と胸張って踊ろうよ。」

日本にとって合衆国はかつて敵だった。今は固い絆で結ばれている。日本にそれができたのなら、中国や韓国にも同じことができるはずだ。

便利さなんてあんまり求めてない。
ちょいと不便なくらいがちょうどいいんだよ。

あなたが相手を理解しない限り、
相手もあなたを理解してくれないでしょう。

日本を含めて、経済的に発展している国は今情報を食べすぎて体と心を壊しかけている。
たまにゃ、情報源が新聞くらいだった時か、古代の文明に思いをはせるように情報を遮断して自分の好きなことをする時間が必要なんだよ。
情報を遮断する、といってもネットから完全に離れるわけでもないよ。ぼくがやっている方法は、Pixivで自分のブックマークした作品を見たり、YouTubeで自分の好きな音楽を聴くくらいは情報をある程度遮断してると思ってるからね。

アートは「自己表現」、デザインは「思いやり」。
この二つを都合よく切り替えることが大切。

高校三年生のとき、僕一人だけ数学Cの授業を受けたのも、短大でデザインを学んだのも、すべては思いやりと想像力を鍛えるためのソーシャルトレーニングだったことにしています。

俺はいつも夢見てるぜ、遊びに何かしらの社会的奉仕の要素を見出せるためになる遊びを提供する夢を。

大きな栄光はいりません。少しずつ確実に積み重ねることが人として重要だと信じています。

「格差」だと思ってはいけない。
「個性」であると信じなさい。

僕はダメ男でもいい。最高にファニーな人生を描けるのなら。

繰り返す、自分が納得のいく結果が出るまで。
だが決して違う結果を望んでいるわけではない。
同じ結果を積み重ねるだけだ。

「『正常』か『狂気』か」の二択を迫られたら、
僕は喜んで『狂気』を選ぶ。

高い目標を目指すのはいいことですが、いきなりその目標を達成しようとして挫折する人は結構います。高い目標をなるべく細かく区切って、その小さな工程を確実にこなしていく、これを繰り返す。これが目標を達成する最善の方法です。

アナログでもデジタルでもいい。
もし、ゲームをデザインできる機会があれば
「世界で最も美しいゲーム」をつくりたい。

貴方が踏んだ一歩は周りの人間からは小さな一歩に見えるでしょう。しかし、あなた自身にとっては大きな一歩なのです。

僕は昔から孤独という言葉に「友達にならないか?」と誘われていた。それまでは拒んでいたが、今この孤独と友達になれそうだ。孤独を愛する…スナフキンみたいに。

善良な意思を示すほど、心無いものに「偽善者」と呼ばれるのがオチだ。
「しかし、なぜそうであってはならない?」

この日本という国の人間の愚かさ、
それは「罪の後の罰」ばかりを考えて、
「罪を犯す前の人道的な救済」を殆ど考えない人の多い事よ。起きてからでは遅い、どんなに厳しい罰を与えても奪われたものは取り戻せないのは火を見るよりも明らかだというのに。

この国に死刑制度はあってもいいと思います。
一番理想的なのは、たとえこれがあったとしても、この極刑がほとんど使用されないような優しい心であふれた国にすること、思いやりや愛情といったもので満ちた心をすべての国民に根付かせることが理想。

僕の経験なのでよくわかりませんが、
人間の記憶とは、割とどうでもいいことのほうが良く記憶に残るものです。この理論が正しければ、ずっと記憶している嫌な思い出とは、つまりあなたの人生においてどうでもいい事と捉えることができます

「かわいいは作れる」のではない。
「“創ること”でしかかわいいは成立しない」のである。

数学と物理はよくできている。
理論的に人間性や道徳、倫理観を考えるいい教材だ。

発達障害を持っていても、栗原類さんのように、多くの人に愛される人だっている。いいほうに考えましょう。問題はその後に考えればいい。

発達障害の当事者として我々は忘れてはならない。
介護福祉という理不尽で過酷な仕事により道を踏み間違えた植松聖も、彼によって命を奪われた障害者も、どちらも「被害者」だということを。

僕は「何かを得る」ために絵を描かない。
僕は「誰かに与える」ために絵を描く。

この国の患っている心の病気を少しでも治せるのなら、
自分の創作物の著作権を喜んで捨てる覚悟はできている。

アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言ったけど、彼の思想なら、いつかこの言葉が覆ってくれたほうが彼は嬉しいと思うんだよね。常識はその人が18歳までに集めた偏見のコレクションってことも言ってるし。

良くも悪くも、普通の人の常識が通用しないのが発達障害。良くも悪くもね。

自分の仕事が自分の誇りになる基準。
それは「お金のために働かない」という思い。

平和を望む人を「頭がお花畑」と批判する人がいるが、花畑は美しいではないか。何も悪いことではない。

短大でデザイン学んでから多分十年以上経ったが今日気づいた。
「『デザイン』とは、つまり『思いやり』である」と。
要は思いやりを十分持てば、よいデザインを作れる可能性は高いということだ。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す