# 「父が残してくれたもの」その後 ラスボス級 母の話

# 「父が残してくれたもの」その後 ラスボス級 母の話

記事
コラム
私の父が亡くなったあと、私たち家族を支えてくれた「母」の話です。

父がすい臓がんで亡くなったのは、私が5歳の頃。

もうすぐ小学校に入学するというタイミングでした。

専業主婦だった母は、突然シングルマザーになり、男二人を育てることになります。

今の私でも「いや、それ無理やろ…」と思うくらいです。

私の記憶で最初に覚えている仕事は内職でした。

お皿に模様を貼る仕事。

家中が段ボールだらけ📦📦📦

私はというと、そのシールの台紙についていた薄紙を使って、ドラゴンボールの絵をひたすらなぞって遊んでいました🐉

母はそんな私を優しく見守ってくれていました。

そんな日々を過ぎて、どんどんと母の仕事は増えてきました。

昼はスーパー🏪

夜は冷凍食品工場🌙

さらに朝はパン屋さん🥐

気付けばトリプルワーク。

今思えば…

**「母、いつ寝てたん?」**

って本気で思います。

私が中学2年生の頃。

さすがに体が悲鳴を上げ、母は過労で肺炎に。

……でも回復したら普通に仕事復帰。

ゲームだったらHP1でラスボス戦に戻るようなもん(笑)

高校受験の頃の私はというと…

勉強も苦手。

しかも体重は100kg手前🐷

成長したのは横方向でした(*´ω`)

制服も体操服も特注。

あの頃の余計な特注費、本当にすみません(笑)

そんな私のために、母は塾ではなく家庭教師をつけてくれました。

これが大正解✨

勉強が分かる楽しさを教えてもらい、成績はどんどん上がっていきました。

結果…

第一志望の公立高校に合格🎉

しかも特進クラス。

母からは、

「あんた、大丈夫ね?ついていけると?」

と言われました。

いやいや(笑)

**そのために頑張ったんやろうがい👀**

高校卒業後。

今度は母が、くも膜下出血で倒れます。

兄から電話。

「落ち着いて聞け。母さん倒れた。」

……

いや、そんな前置きで落ち着ける人おる?

もちろん病院へ。

数日後、目を覚ました母の第一声。

**「死んでたまるか(笑)」**

……

強すぎる💪

あんたがラスボス級やったんかーい って思いました。

幸い後遺症も少なく、また仕事へ。

その後、私が32歳くらいの頃。

まさかの再発。

「なんでうちだけ…」

正直そう感じるしかありませんでした。

今回も手術は成功。

でも、なかなか目を覚ましません。

そんな母を起こしたのが、兄の娘。母からすると初孫です。

ガラス越しに聞こえた

**「ばぁばー!!🥹」**

その声で目を覚ましたそうです。

孫パワーって、本当にすごい。

今では70歳を超えました。

スマホは苦手📱

パソコンも苦手💻

会話が上手でもないし友達が多いわけでもない。

でも、心の大きさだけは誰にも負けません。

今でも「孫に何か買ってあげたい😊」とパートへ。

……

**もう十分頑張ったやろ😂**

そろそろ私たちが支える番です。

最近、遺族年金制度が2028年度から変わることを調べました。

もし父が亡くなった当時、この制度だったら。

母はもっと働かなければいけなかったかもしれません。

だから私は、住宅や保険、年金制度を学び続けています📚

もちろん誰かの役に立ちたい気持ちもあります。

でも、その原点は変わりません。

**一番守りたいのは、自分の家族です。😊**
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