【プチ怪談】ホストやりませんか?

【プチ怪談】ホストやりませんか?

記事
コラム
忘年会帰りの梅田で“女のスカウト”に声をかけられた夜の話

これは、数年前の冬のこと。

忘年会の帰り、会社のみんなと梅田駅に向かって歩いていた。

人混みのざわめき。
年末独特の空気。
少し疲れた体。

そんな中を歩いていた、その時だった。

突然、横から声が飛んできた。

「お兄さん、お兄さん」

妙に耳に残る高い声だった。

人混みの中なのに、不思議とはっきり聞こえた。

振り返った瞬間、胸の奥が"ひゅっ"とすぼまるような感覚が走る。

若い女の子だった。

笑っている。

でも、目だけがまったく笑っていない。

その瞬間、理由もなく「近づいたら危ない」と感じた。




「ホストやりませんか?」

一瞬、耳を疑った。

女の子が?

しかも30歳を過ぎた俺に?

思わず笑って返した。

「いやいや、もう30過ぎてるし無理やろ。」

でも、心の中は笑っていなかった。

女の子は大げさに驚いた。

その驚き方が、どう見ても演技にしか見えない。

胸の奥だけが、じわっと冷えていく。


心の距離を一気に詰めてくる

そこから質問攻めが始まった。

「仕事は何してるんですか?」

「楽しいですか?」

「給料どれくらいなんですか?」

初対面とは思えない踏み込み方だった。

まるで、俺の弱いところを探しているような質問。

そのたびに心臓が小さく跳ねる。

呼吸が浅くなる。

頭の後ろがじんわり熱い。

ふと周りを見ると、一緒に歩いていた会社の人たちが誰もいない。

人混みで自然とはぐれてしまっていた。

その瞬間だった。

背中に冷たい汗が流れた。

「……やばい。」

言葉にはならなかった。

でも、心の中では何度もそう繰り返していた。


断っても離れない

歩いても歩いても横に並んでくる。

「いや、ほんまに無理やって。」

「興味ないから。」

何度断っても離れない。

むしろ距離を詰めてくる。

周りにはたくさん人がいる。

それなのに、不思議と周囲の音だけが遠くなっていく。

二人だけが切り取られたような感覚。

視界が少し狭くなる。

手のひらがじっとりと汗ばむ。

「これは普通じゃない。」

そう感じていた。



改札が見えた瞬間

梅田駅の改札が見えた。

その瞬間、胸の奥が一気に軽くなった。

逃げ道が見えるだけで、人はこんなにも安心するのかと思った。

そのまま早歩きで改札へ向かう。

女の子は、改札の少し手前で足を止めた。

振り返ることなく改札を抜けた。

「ピッ」

ICカードの音が、助かった合図のように聞こえた。



今でも忘れられない違和感

今思い返しても、不自然なことはいくつもある。

・店名も名刺も出さなかったこと。

・年齢を伝えても引かなかったこと。

・初対面なのに給料まで聞いてきたこと。

・周りに人がいなくなったタイミングで距離を詰めてきたこと。

・何度断っても離れなかったこと。

そして何より——

あの子は、最後まで目だけが笑っていなかった。

本当にホストのスカウトだったのか。

それとも別の目的があったのか。

それは今でも分からない。

ただ一つだけ確かなのは、あの時の自分は「危ない」と感じていたことだ。

電車に乗って座席に座った瞬間、ようやく呼吸が整った。

俺はアルコールアレルギーで、お酒は飲めない。

だから今になって思う。

もし本当にホストの勧誘だったなら、なぜあそこまで執拗だったのだろう。

答えは今でも分からない。

でも、その「分からない」が、一番怖い。

もしあの日、改札が見えていなかったら。

もし人通りが少ない時間だったら。

もし会社の人たちとはぐれたことに気付かなかったら。

何も起きなかったのかもしれない。

あるいは、何かが起きていたのかもしれない。

その答えを知る日は、おそらく一生来ない。

今でも冬の梅田を歩くたび、あの時の冷たい感覚だけは、はっきりと思い出す。
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