大切な方を亡くしたあと、
「私だけ笑っていてよいのだろうか」
「楽しいと思ったら、あの人を忘れてしまう気がする」
「新しいことを始めたら、置いていくようで苦しい」
と感じることがあります。
食事をおいしいと思ったとき。
久しぶりに心から笑ったとき。
旅行や外出を楽しんだとき。
新しい仕事、恋愛、趣味などに心が動いたとき。
幸せを感じた直後に、罪悪感が追いかけてくることがあります。
今回は、自分だけが前へ進むことに苦しさを感じている方へ、お伝えしたいことを書きます。
幸せを感じた瞬間に、悲しみが消えるわけではありません
悲しみの中にいると、
「笑えたということは、もう悲しくないということなのだろうか」
と思うことがあります。
けれど、人の心は、一つの感情だけでできているわけではありません。
亡き方を思って寂しい気持ちと、目の前の出来事を楽しいと感じる気持ちは、同時に存在できます。
朝には涙が出て、昼には誰かと笑うこともあります。
思い出の場所で胸が苦しくなり、その帰り道にきれいな夕日を見て、少し心が温かくなることもあります。
その温かさは、悲しみが嘘だったという意味ではありません。
あなたの中に、悲しみ以外の感情も戻り始めたということです。
「苦しみ続けること」が愛の証明になることがあります
大切な方を亡くしたあと、自分の苦しさが、その人への愛と結びついてしまうことがあります。
苦しんでいる間は、あの人とのつながりを保てている。
涙を流している間は、忘れていない。
前へ進まないことで、あの人を一人にしないでいられる。
そのように感じることがあります。
すると、少し心が軽くなっただけで、
「このまま忘れてしまうのではないか」
という不安が生まれます。
けれど、苦しみの強さと、愛情の深さは同じではありません。
毎日泣かなければ、愛していないわけではありません。
生活を楽しめるようになったからといって、絆が消えるわけでもありません。
愛情は、苦しみという形だけで残るものではないのです。
亡き方を忘れることと、生活へ戻ることは違います
前へ進むという言葉を聞くと、
「故人を過去に置いていくこと」
のように感じる方もいらっしゃいます。
けれど、本当は、亡き方を置いて進むのではありません。
その人から受け取ったものを、自分の中に持って進んでいくのだと思います。
教えてもらったこと。
一緒に笑った記憶。
口癖。
料理の味。
物事の考え方。
人への接し方。
自分では気づいていない仕草や選択の中にも、亡き方の影響は残っています。
会えなくなったとしても、その人と過ごした時間まで消えるわけではありません。
あなたが生活へ戻ることは、関係を捨てることではありません。
関係の形が変わっていくことです。
幸せになることを「許可してもらいたい」と思うとき
「私が幸せになることを、あの人は許してくれるだろうか」
という質問を受けることがあります。
新しい仕事を始める。
引っ越しをする。
新しい人と出会う。
再婚を考える。
亡き方が望んでいたものとは違う道を選ぶ。
そのような場面では、故人からの許可が必要なように感じることがあります。
けれど、人生を選ぶ責任は、今を生きているあなたのもとにあります。
亡き方の思いを大切にすることと、自分の人生を委ねることは違います。
「あの人なら何と言うだろう」
と考えることは、心を整理する助けになるかもしれません。
ただ、その答えによってしか動けなくなると、あなたの人生の決定権が、亡き方の存在へ預けられてしまいます。
故人への愛情を持ちながら、自分で選ぶ。
それは裏切りではありません。
今を生きるあなたにしかできない、大切な役割です。
新しい幸せは、以前の幸せを消しません
特に、配偶者や恋人を亡くした方は、新しい人との関係に強い罪悪感を抱くことがあります。
「新しい人を好きになったら、あの人への愛は嘘になるのではないか」
「二人を比べてしまうのではないか」
「周囲から、もう忘れたと思われるのではないか」
そのように悩むことがあります。
けれど、新しい愛情が生まれたからといって、以前の愛情が消えるわけではありません。
人の心は、一人分の思い出しか入らない小さな箱ではありません。
亡き方への愛情と、新しく出会った方への愛情は、同じ形である必要もありません。
どちらかを選ぶために、もう一方を否定しなくてもよいのです。
新しい幸せは、過去を上書きするものではありません。
これまでの人生の続きに、新しい時間が加わるということです。
周囲の言葉に傷つくこともあります
悲しみ方や、前へ進む速さについて、周囲から何かを言われることがあります。
「いつまでも泣いていたら、故人が心配するよ」
「そろそろ前を向かないと」
と言われ、まだ悲しんでいたいのに急かされることもあります。
反対に、
「もう遊びに行けるの?」
「新しい人を好きになるのは早すぎない?」
と言われ、幸せを感じることを責められることもあります。
けれど、悲しみ方に、全員に共通する正解はありません。
早く笑える人もいます。
長く涙が続く人もいます。
笑いながら悲しんでいる人もいます。
周囲から見える姿と、その人の内側にある思いは一致しないことがあります。
誰かの基準に合わせて、悲しみ続ける必要も、急いで元気になる必要もありません。
あなたの心には、あなたの時間があります。
自分を幸せにすることは、故人を置き去りにすることではありません
自分を大切にすることに罪悪感があるときは、次のように考えてみてください。
亡き方への愛情を守るために、あなたの生活を壊し続ける必要があるでしょうか。
あの方との思い出を大切にするために、あなたが食べること、眠ること、笑うことを諦める必要があるでしょうか。
もちろん、故人が何を望んでいるかを断定することはできません。
けれど、あなたの心や体を傷つけ続けることだけが、二人の絆を守る唯一の方法ではありません。
あなたが自分を大切にすることも、亡き方との時間から受け取った愛情を、この世界で生かす一つの方法です。
今日できる、小さなこと
幸せになることへの罪悪感がある方は、今日、紙に二つの文章を書いてみてください。
一つ目は、
「私が幸せになると、怖いことは何だろう」
です。
忘れてしまうことが怖い。
周囲から責められることが怖い。
亡き方との関係が消えることが怖い。
どのような答えでも構いません。
二つ目は、
「幸せになっても、失われないものは何だろう」
です。
思い出。
教えてもらったこと。
一緒に過ごした事実。
自分の中に残った価値観。
亡き方を大切に思う心。
あなたが笑えるようになっても、失われないものはあります。
すぐに罪悪感が消えなくても大丈夫です。
心から楽しめない日があっても大丈夫です。
けれど、幸せを感じた自分を責めなくて大丈夫です。
亡き方を忘れなくても、自分の人生を生きてよいのです。
悲しみと幸せは、どちらか一つを選ばなければならないものではありません。
あなたの中に、どちらもあってよいのです。
この文章が、幸せを感じることを怖がっている心に、小さな許しを届けられたなら幸いです。
灯守ことは