私は今、手相・九星気学・易による鑑定を行っています。
でも、高校生の頃の私は、占いが嫌いでした。
母がよく、わざわざ神戸まで占いを受けに行っていたからです。
そんな私が、なぜ占い師になり、リピーターのお客様と向き合うようになったのか。そして、あれほど嫌っていた占いというものを、少しずつ理解できるようになっていったのか。今日は、そんな話をしたいと思います。
1. 占いが嫌いだった高校時代
当時のわが家の暮らしは苦しく、母が占いにお金を使い、時間をかけて出かけていくことを、私はどうしても理解できませんでした。
母が出かける日は、父も飲みに行っていて、家は兄と私だけになることがほとんどでした。
もちろん、母は晩御飯を用意してくれていました。
それでも私の中には、
「どうして、そこまでして占いに行くのだろう」
という思いが、ずっと残っていました。
2. 20歳で出会った、一冊の本
そんな私が20歳になった直後、本屋で浅野八郎先生の『手相術』に出会いました。
手相を単なる神秘として語るのではなく、手に現れる特徴と人の性格や生き方との関係を科学的にも解き明かそうとしている。理系だった私は、そこに強く興味を持ちました。
その後、手相を本格的に学び、1997年3月、22歳でプロの手相家の免状を取得しました。
それからイベントなどで、多くの方を対面で鑑定してきました。
ただ、イベントでの鑑定は一期一会がほとんどです。
知り合いや紹介の方を繰り返し鑑定することはありましたが、今のように、まったく面識のなかった方が何度も相談に来てくださるという経験は、それほど多くありませんでした。
3. ココナラで始まった「リピーター」との出会い
ココナラを始めてから、初めてご縁をいただいた方が、
「またお願いします」
と、二度、三度とご依頼くださるようになりました。
そこで初めて気づいたことがあります。
リピーターの方を鑑定するというのは、ただ同じ人を何度も占うことではありません。
これまで何があったのか。どんな思いをしてきたのか。何に傷つき、何を願い、今どこにいるのか。
そうした流れを分かったうえで、今の相談に向き合うことです。
だから、リピーターの方を鑑定するには、かなりの真心が必要なのだと思います。
4. 「依存」ではなく「信頼」だと気づいて
実は私自身、以前はどこかで、
「何度も占いに来ることは、占いに依存することにつながるのではないか」
という思いを持っていました。
でも、自分が鑑定する側になってみると、それだけではないことが分かってきました。
何かあるたびに占い師に答えを求めることと、人生の節目で、
「この人なら、これまでのことも分かってくれている」
と思って相談することは、同じではありません。
それは、依存というよりも、信頼できる相手に、必要なときに話をしに行くことなのかもしれません。
私は今、リピーターの方との鑑定を、そんなふうに感じています。
5. 母が神戸まで通った理由が、少しわかった気がします
そう考えるようになってから、時々、母が神戸まで通っていた占い師さんのことを思います。
私は、その方に会ったことがありません。どんな鑑定をしていたのかも知りません。
でも、母は何度もその人のところへ行っていました。
今、自分がリピーターのお客様を鑑定する側になってみると、母を鑑定していたその方の気持ちも、少しだけ想像できるようになりました。
きっと、母のそれまでの話を知ったうえで、毎回向き合ってくださっていたのでしょう。
そして母も、ただ「占いを受けに行く」というより、その人に話をしに行っていたのかもしれません。
高校生だった私には、そんなことは分かりませんでした。
でも今なら、母がなぜ、わざわざ神戸まで何度も足を運んだのか。ほんの少しだけ、分かる気ようながします。
そして、会ったこともないその占い師さんのことを、
「きっと、母にとって安心して相談できる人だったんだろうな」
と思うようになりました。
6. リピーターさんと歩む、ということ
私は、お客様を占いに依存させたいとは思っていません。
むしろ、占いがなくても自分で歩いていけることが一番だと思っています。
それでも人生には、誰かに話を聞いてほしいときや、一人では整理できないときがあります。
そんなときに、
「また、この人に話してみよう」
と思っていただける。そして、その方のこれまでを知ったうえで、また一緒に考える。
私にとって、リピーターの方を鑑定することは、その方に寄り添いながら、運勢の流れを一緒に見ていく「伴走」だと思っています。
高校生の頃、占いが嫌いだった私が、今では、母が何度も占い師のもとへ通った気持ちを、少し理解できるようになりました。
人生というのは、本当に不思議なものです。
これからも、ご縁をいただいた一人ひとりの方と、誠実に向き合っていきたいと思っています。