子どもを産むか産まないか。
これは多くの女性が、人生のどこかで必ず一度はぶつかるテーマだと思う。
私の友人・Y子も、まさにその渦中にいる一人だった。
Y子はずっと「子どもを産まない自分自身の人生を楽しむ!」と確信していたタイプ。
根拠はないけれど、“そう生きる自分”が自然で心地よかったのだろう。
母子家庭の末っ子で育ったY子は、
誰かを優先するよりまず自分を守ることが身にしみている。
恋愛でも人間関係でも、甘え上手で世渡り上手。
20代の頃、友人も兄弟も次々と結婚・出産していくのを見ても、
「素敵だけど、私は違うかな〜」と女子会のたびに笑っていた。
強がりでもなんでもなく、Y子は本気で“子なし人生”を謳歌していた。
好きなときに旅行し、好きなものを好きなだけ食べ、美容にも時間をかけて、
青春がずっと続いているような軽さがあり、誰が見ても魅力的な女性だった。
そして気づけば、あっという間に35歳。
そんなある日、長年生活を共にしてきた事実婚状態のパートナーの浮気が発覚した。
それだけでも十分しんどいのに、彼の口から出た言葉が
「浮気相手に子どもができた。認知して産んでもらう」
という爆弾だった。
Y子が一番ショックだったのは、浮気そのものではなく――
「子どもはいらないって言ってたの、あれ何だった?」
という一点。(突っ込みどころは他にも山ほどあるが)
実は彼女のまわりでも、
選択子なし夫婦が35歳前後で“価値観の変化”から別れていくケースが増えていて、
「やっぱりここに壁があるのか…」と感じざるを得なかったらしい。
―まさか自分にも訪れるとは。
不妊治療の末にそんなことを言われたのなら、たまったものではない。
末代まで呪いたいほどだ。
ただ、選択子なしカップルの場合、問題はシンプルで、そして残酷。
――気持ちの変化を共有していたかどうか。
結局この一点に尽きる。
このテーマはタブーになりがちで、
本音をぶつければ関係が少しでも揺らぐかもしれない。
そう思うからこそ、定期的な話し合いを避けてしまう人は多い。
Y子たちも例外ではなかった。
仕事の忙しさを理由に、肝心なテーマに触れず、
表面的な会話だけで日々が過ぎていった。
そして彼の中では、言い出せないまま「子どもが欲しい」という変化が起きていた。
“産む側ではない”からこそ、簡単には口にできなかったのだろう。
だからといって、別の女性に産んでもらうという思考回路は永遠に理解不能だけれど。
ただもし女性側に立場を置き換えれば、
子どもが欲しくなったのに「いらない」と言い続けてきた手前、言い出しづらい。
セックスレスで誘うのも怖い。
でも自分にはタイムリミットがある。
焦る、でも言えない。
そんな気持ちも、確かに“あり得る”のだろう。
不貞行為は法的に責任を問われる行為。
しかし人間は、清く強く生きられるほど完璧じゃない。
子どもを持つかどうかに本気で向き合うだけで、人は心も体力も削られるものだ。
そして――
今まで「楽しい今が続けばいい」と軽やかに生きてきた30代前半とは違い、
悩みの質が明らかに変わり、Y子に鋭く突き刺さるようになっていった。
そんなタイミングで、追い打ちのような出来事。
同じ時期に Y子自身の妊娠が判明。
35歳。
パートナーとの関係も揺らぎまくっている時期。
検査薬の陽性反応を見て出た言葉は、たったひとつ。
「どうしよう…」
自由に生きて、お酒もタバコも夜遊びもしてきた自分。
「母親になる器じゃない」と泣きながら悩んだ夜もあり、
深夜に突然電話をかけてきたこともあった。
「笑ってくれたらいいんだけどさ…情けない話かもしれないけど聞いて」
普段の強さとはまったく違う、震えた声だった。
――望んだ妊娠であれ、望まない妊娠であれ、
産むも産まないも“女性の身体”が担う負担はあまりにも大きい。
これは男女差別ではなく、どれだけ綺麗ごとを並べても揺らがない事実だ。
◆ “産む・産まない”よりも前に考えてほしい3つの問い
1. パートナーに依存していない?
2. 経済的に自立している?
3. 自己犠牲の上にある幸せを受け入れられる?
特に「2. 経済的自立」は本当に大切。
貯金、倹約力、頼れる家族…どれでもいい。
もし全部ないなら、まずは“自分の人生の軸”をつくるところから。
そして3つ目。
「子どもの幸せを、自分の幸せとして感じられるか」。
子どもが生まれれば、時間もお金も体力も自由も、
すべて“他者に使う”生活が始まる。
それがどうしても“損”に感じてしまうなら、
まずは自分自身と向き合う必要がある。
◆ そして、今のY子は
まだ答えを出していない。
でも、それでいいと私は思っている。
産む・産まないに正解はない。
どちらも尊いし、どちらも「生き方」だ。
大切なのは、
「誰かの価値観」ではなく、「自分の価値観」で選ぶこと。
人生の評価は、今この瞬間に下さなくていい。
答え合わせだって今やらなくていい。
どうなりたいか、どうしたいかで考えると苦しい。
だって、今の楽しい環境が続くならずっとネバーランドにいたいし、
“母親という役割が自分に似合うか不安”と思うのは当然のことだ。
ただ――
女性の身体には、どうしてもタイムリミットがある。
この事実だけは変えられない。
「子どものいる未来・いない未来」
これは想像するしかない。
でも、もともと子どもがほしいと思ったことのない人が、
明るい未来を思い描けなくて当然だと思う。
不安や責任の重さばかりが頭に浮かぶのは自然なことだ。
私は思う。
子どもを産む人生も、産まない人生も、どちらも尊い。
授かれなくても、里親制度やパートナーの連れ子を共に育てる形も美しい。
血のつながり以上に濃いもの――価値観、思想、センス、
“幸せの共有”を受け継ぐ人生だってある。
そしてもちろん、子どもを持たない選択も尊重されるべき。
自分の人生を謳歌し、納得いくまで自分を生きること。
老後の孤独が怖いという理由で揺らぐこともあるけど、
子どもがいても孤独はゼロにはならない。
それは、自分自身の課題だから。
子どもがいてもいなくても、
人生の孤独や寂しさは完全には消えない。
だからこそ“自分の人生をどう生きたいか”が大切なんだと思う。
◆ 最後に
子どもを産むか・産まないか。
このテーマは、多くの人を悩ませ、消耗させる。
なぜそんなに悩むのか。
根底にはひとつだけある。
「取り返しのつかない後悔をしたくない」
でもね、取り返しのつかない後悔なんて、
誰だってすでに1つや2つはしている。
無意識に。
人生には選ばなかった未来が無数にあって、
それらは知らないうちに“消えている”。
でも、そっちの未来をずっと見ていたら生きていけない。
妊娠や出産に関する悩みは、
タイムリミットつきで目の前に現れるから怖い。
でも、感情は今の形のまま10年後も1年後も続くわけじゃない。
環境が変わらなくても感情は変わる。
それは自然なことだ。
恐れなくていい。
取り返しのつかない後悔を完全に避ける必要もない。
ただ――
1ミリでも納得できる選択をしたなら、
きっとその未来はあなたに微笑んでくれる。