ある種のかわいそうがどうしても克服できない
ある種のかわいそうとは
実際に身近にものすごく尊敬できる人がいるのに
悪目立ちしているヒロピンやヒロピンの恩人を羨ましがる人がいる
ということだ。
ものすごく尊敬できる人が親世代とも限らない。
同級生や先輩後輩にもすごい人はいる。
夜中になると吐き気がするから
1番悲しみ1番苦しみ愛情の関係を大切にしたかったにもかかわらず
素直になることができずに傷つき続けたその人が
しあわせな暮らしを得ることが最重要なのだろう。
文章がうまくなるというのは
どうひっくり返っても上位者の手厚い配慮の御蔭だ。
上質な知識経験を備えた上位者に文章を読んでもらう経験を重ねてしか
文章を上手くなることは出来ない。
学生時代現代国語の授業の担当教師は
刑務所の看守のように厳しく
授業もテストも自尊心がズタボロにされるような
拷問のような時間だった。
しかしそういう経験を経て
会社員だったとしても
文章力を承認されて仕事を得られるパターンがある。
しかも能力主義を徹底した上司は
何故かプロジェクトを完徹できなかった。
プロジェクトの実現にはどうしても意欲採用の部分がある。
これが何なのかしりたい。
そしてありがたいことに知恵ある先人が
わずかな指さしで気づきに必要なヒントを示してくれる。
正しいかどうかには悩んでいないんだ。