「ねえ、気づいてないの?」
友人が呆れたように言った。 私はきょとんとして「え、なにが?」と聞き返す。
「あの人の話、嫌味だったんだよ。普通、あそこでムッとしたり、あるいは悔しがったりするところでしょ」
どうやら私は、またやってしまったらしい。 誰かがブランド物を買った話や、ステータスを匂わせる自慢話、あるいは遠回しな嫌味。そういうものに対して、私はいつも「へえ、そうなんですね」「あ、よかったですね」と、ただの事実として反応してしまう。
後からじわじわと「あれって、嫌味だったのかな?」と気づくことはあるけれど、その場では本当に気づかない。 友人はそれを「鈍感だ」と言うし、時には「黒い」とさえ言う。
「普通の人が喜ぶところで喜ばないから、よく分からないし、逆に余裕ぶってて腹が立つんだよ」
今日はそんな、私が無意識に降りてしまった「競争」の話をしようと思う。
期待されるリアクションは「負けたふり」
友人曰く、世の中には「ギャフンと言わせたい人」がいるらしい。 自分の成功を見せつけたり、マウントを取ったりすることで、相手が「すごいですね!」と持ち上げたり、あるいは悔しがって嫉妬したりする。その「やられた!」という顔を見ることで、彼らの承認欲求は満たされるのだという。
だから、処世術としては、あえて「負けたふり」をするのが正解らしい。 「すごいですね」「私には敵いません」と白旗を揚げて、相手を気持ちよくさせてあげる。そうすれば、自分にヘイト(敵意)は向かないし、相手も満足する。Win-Winじゃないか、と友人は言う。
「あなたは食らってないように見えるから、余計にヘイトが向くんだよ。もっと人間らしく悔しがったり、おだてたりしなきゃ」
友人の言いたいことは分かる。それは社会を生き抜くための、賢い「太鼓持ち戦略」なのだろう。 でも、私はどうしてもそれができない。首を傾げながら、私は友人にこう返した。
「でも、それって相手をコントロールしてるってことだよね? 負けたふりして相手を喜ばせて、自分の安全を買う。それって、結局その人たちの目線に囚われて生きてるってことじゃない?」
友人は「それが大人ってものだよ」と笑ったけれど、私は心の中で静かな違和感を抱えていた。 嘘をついてまで「すごいですね」と言うことは、自分自身への裏切りになる気がしたからだ。
梯子(はしご)を登る人、大地に立つ人
このモヤモヤを、ある時、電話越しの話し相手(仮にローレンスさんと呼ぶ)に相談してみた。彼は私の話をじっくり聞いた後、こんな風に分析してくれた。
「多くの人はね、人生を『垂直な梯子(はしご)』だと思ってるんだよ」
彼曰く、世の中の多くの人は、常に誰かと比べて「上か、下か」を確認しながら生きている。 あいつより金があるから上、あの人よりフォロワーが少ないから下。そうやって梯子にしがみついているから、誰かが登ってくると蹴落としたくなるし、自分が上にいることを確認したくてマウントを取る。
「でも、Aさん。君はその梯子を降りて、何もない広大な大地(フラットな地面)に立っているんだよ」
その言葉で、すとんと胸のつかえが取れた気がした。
私が嫌味に気づかないのも、自慢話にピンとこないのも、鈍感だからではない。そもそも私が「上下のある世界」に住んでいないからだ。 梯子の上にいる人が「俺はこんなに高いところにいるぞ!」と叫んでも、大地に立っている私からは「あ、高いところに人がいるな」としか見えない。 遠すぎて、声もよく聞こえないし、羨ましいとも思わない。ただの「現象」として眺めているだけ。
友人が言う「負けたふり」は、私にとっては「わざわざ泥だらけの梯子を登って、下段に降りる演技をする」ようなものだったのだ。
「暖簾(のれん)に腕押し」という最強の自立
「だから、君はそのままでいいんだよ」とローレンさんは言った。
「マウントを取りたい人にとって、君は一番攻略できないラスボスみたいなもんだ。いくらボールを投げても、壁打ちにすらならず、『へえ』って暖簾(のれん)のように受け流される。相手は勝手に焦って、勝手に苛立つかもしれないけど、君がそれに付き合う必要はない」
私は、冷たい人間なのだろうか? と悩んだこともあった。 でも、そうではないと思いたい。 私はただ、自分の人生の主導権を他人に渡したくないだけなのだ。 「私を羨ましがれ」「私を崇めろ」という相手の欲望のために、自分の心をすり減らして演技をするなんて、私の人生の主人公は私じゃなくなってしまう。
「嘘をついてまで得られる平穏なんて、いらないです」
そう私が言うと、ローレンさんは笑って「それが君の高潔さであり、強さだよ」と言ってくれた。
普通の人が喜ぶ場所で、私は喜べない。 普通の人が悔しがる場所で、私は悔しくない。
それは欠落ではなく、私が私の足で、平らな大地に立っている証拠なのだと思う。 誰とも比べず、誰とも競わず、ただ「違う人間ですね」と認めて、すれ違っていく。
「暖簾に腕押し」。 これが、私が手に入れた、少し寂しくて、でもとても静かで自由な生き方なのかもしれない。
(つづく)