選ぶときに大事にしたいことを、紙に書き出してみた。
通勤時間、収入、やりがい。
どれも間違ってはいない気がする。
それなのに、候補に当てはめてみても、なぜかしっくりこない。
そんな経験はありませんか。
基準を書き出すことは、決めるための助けになります。
ただ、書き出したのに動けないとき、次に疑ってみたいことがあります。
それは、「その基準は、誰の物差しだろう」ということです。
今日は、私が初めて部下を持ったときの失敗から、この話をしてみます。
人を測る物差しに、気づいていなかった頃
私は小売業界に約20年、うちバイヤーとして約15年6ヶ月働いてきました。
その中で初めて部下を持ったとき、部下になったのは同期でした。
当時の私は、自分ができるのだから、相手にも同じレベルを求めてしまっていました。
相手は不満そうな態度をとっていたと思います。
私もイライラしていました。
あとから振り返ると、あのときの私は、自分の物差しですべてを判断していたのかもしれません。
自分ができることを、相手にも当たり前に求める。
それが私の物差しでした。
しかも、物差しを持っていること自体に、気づいていませんでした。
さらに言えば、相手には相手の物差しがあって、その物差しでは、私のほうに足りない何かがあったのかもしれません。
もちろん、相手に確かめたわけではなく、あくまで推測です。
このとき気づいたのは、人は誰でも物差しを持っていて、持っていること自体に気づきにくい、ということでした。
自分を測る物差しは、誰のものか
人を測る物差しがあるように、自分を測る物差しもあります。
そして、こちらも持っていることに気づきにくいものです。
・このくらいできて当たり前
・この年齢なら、こうしているはず
・ここまでやらないと、認められない
こうした感覚は、自分で考えて決めたつもりでも、いつのまにか、親や職場、周りの人の言葉から借りてきたものかもしれません。
長いあいだ使っていると、借りてきた物差しは、自分の考えと区別がつかなくなります。
子どものころに言われた言葉、職場で評価されてきた基準、周りの人の当たり前。
それらは、気がつけば「自分はこういう人間だ」という感覚の一部になっています。
もちろん、人から受け取った物差しが、すべて悪いわけではありません。
職場のルールや家族の事情など、考えに入れるべきものはあります。
気をつけたいのは、誰かの物差しを、自分の物差しだと思い込んだまま、それで自分を測り続けることです。
決められないときの背景に、これがあることもあるのではないかと、私は考えています。
書き出した基準が借り物だと、どの選択肢も、どこかしっくりこない。
自分で選んでいるはずなのに、誰かの合格点に届くかどうかで選んでしまう。
そうなると、決めること自体が怖くなります。
借り物の物差しを使っていたと気づいても、自分を責める必要はありません。
ずっと使ってきたものに気づけないのは、自然なことです。
私が部下に対して、そうだったように。
小さな一歩は、ひとつだけ
今日試せることを、ひとつだけ挙げます。
書き出した基準のうち、ひとつ選んで、その横に「これは、誰の目線?」と書いてみてください。
たとえば、転職の迷いで「収入の安定」と書いたとします。
それは、自分が本当に大事にしたいことなのか。
家族の期待なのか。
周りと比べたときの不安なのか。
答えは、どれでもかまいません。
これはあくまで例です。
書くのに、1分もかかりません。
頭の中で考えるより、紙に書いたほうが、自分の考えと人から借りた考えを分けて見やすくなります。
書けたら、そこで終わりで大丈夫です。
基準を消さなくても、変えなくてもかまいません。
「これは誰の目線か」が見えただけで、十分な一歩です。
そして、自分以外の誰かの名前が出てきたときは、その基準をすぐに捨てなくて大丈夫です。
ひとつだけ、問い直してみてください。
「それでも、自分はこれを大事にしたいか」
大事にしたいと思えたなら、その基準は「借り物」から「自分が選んだもの」に変わります。
違うと感じたなら、外してもかまいません。
どちらを選んでも、決めたのは自分です。
問い直すときは、「誰にも見られなくても、誰にも評価されなくても、これを選びたいか」と言い換えてみるのもひとつの方法です。
答えがすぐに出なくても大丈夫です。
出ない、ということ自体が、今の自分についての手がかりになります。
自分では見えにくいときは
「誰の目線か」が、自分ひとりではなかなか見えない。
そんな方は、ココナラで出している「決められない人へ思考整理で行動を決めます」でお手伝いできるかもしれません。
GCS認定プロフェッショナルコーチとして、あなたが大事にしたいことを一緒に整理し、次の一歩を決めるところまでご一緒します。
合いそうならのぞいてみてください。
基準の横に一言書いてみるだけで足りる方は、それで十分です。