【渡部遼・埼玉県朝霞市】「エラーが出ない世界」に憧れるのは、恋を知らない人だけだ

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システムエンジニアをしていると、しばしば「理論的な世界に生きてるね」と言われる。確かにコードは論理の連続で、計算の結果に曖昧さはない。けれど実際の現場はもっと人間くさい。誰かの書いたコメントを読み解きながら、未来の自分が苦しむバグを今日の自分が埋め込んでいることもある。理論の上で走るプログラムなのに、感情の沼を泳いでいる気がする。

最近、「エラーが出ない世界」を夢見る人が多いように感じる。AIがすべてを補完し、人の手を煩わせないコードが自動生成される未来。確かに、それは効率的で、合理的で、美しい。しかし本当にそれを望んでいるのだろうか。エラーとは、システムが私たちに向かって「わたしはまだ生きている」と呟くようなものだ。エラーが出るということは、動こうとしている証拠。止まっていないというサイン。

かつて、徹夜明けのデバッグで、ようやく赤いログが青に変わった瞬間、モニターの光に照らされた仲間の顔を見て思った。「これが幸福というやつかもしれない」と。たった一文字のセミコロンの欠落で動かなかったシステムが、ようやく動いた瞬間のあの快感。そこにAIは関与していない。あれは人間が、自分の過ちを愛おしむことでしか辿り着けない達成感だった。

完璧なコードよりも、不完全なエラーの方が、心を動かす瞬間がある。恋愛もそうだ。言葉足らずなメッセージに傷つき、誤解して、それでも相手を理解しようと試みる。その繰り返しが人を強くする。もし恋が完全にデバッグされた関係なら、それは静かなプログラムのように淡々としていて、何も起こらない。

人間の成長は、エラーの処理でできている。失敗を回避しようとするAIよりも、失敗を面白がる人間のほうがずっと進化している。だから私は、エラーを恐れないエンジニアでいたい。完璧なプログラムを目指すより、バグに込められた物語を楽しみたい。コードの中に潜む未完成の美しさを、今日も見つけたい。

きっとこれから、AIがエラーのほとんどを消してしまう時代が来るだろう。それでも最後に残るのは、人間の手による“わずかな曖昧さ”だと思う。曖昧さは不安定だが、同時に希望でもある。だから私は、エラーが出ない世界を望まない。完璧に動くプログラムより、時々つまづくシステムを、少し愛おしく感じながら生きていきたい。
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