昨日、家族とイタリアンのお店に行った。
リニューアルしてから初めて訪れたお店は、きれいで雰囲気もよく、新しくテラス席のようなスペースもできていた。
そんなお店で、ちょっとした出来事があった。
私たちの近くで、ゴキブリが出たらしい。
私たちは姿を見ていなかったのだけれど、お店の方が退治をして、そのあと、とても申し訳なさそうに謝ってくださった。
席を替えましょうか、とも言われたけれど、もう対応していただいたし、そのままで大丈夫ですと伝えた。
確かに、飲食店で虫が出たら、気になる人もいるだろう。
でも、テラス席もできていたし、もしかしたら、そういうところから入ってきたのかな。
もちろん、本当のところはわからない。
ただ、どんなにきれいにしていても、思いがけないことは起こるもの。
そんなことを考えていたら、ふと疑問が浮かんできた。
ゴキブリって、どうしてこんなに嫌われるんだろう。(私も嫌だけど。。)
もちろん、衛生面の問題もある。
でも、もし人間の生活空間に入ってくることなく、ずっと草むらの中で暮らしていたら、私たちは今と同じように嫌っていただろうか。
同じ生き物でも、いる場所が違えば、受け止め方も変わる。
最近、クマのニュースを見ていても、同じようなことを考える。
山の中で暮らしているクマも、人里に下りてきて人の生活を脅かすと、駆除の対象になることがある。
同じクマなのに、いる場所によって受け止められ方が変わると思った。
そして、これは人間にも似たようなことがあるのかもしれない。
例えば、服装や身だしなみ。
普段着でいい場所もあれば、きちんとした格好が求められる場所もある。
それぞれの場には、その場にふさわしいとされる振る舞いや決まりがある。
ただ、そこで少し考えてしまった。
その場所に合わないから、受け入れられない?
その場所に合わないから、嫌がられる?
では、その場所に合わないことと、そこにいてはいけないことは、同じなのだろうか。
会社には「適材適所」という言葉がある。
事務の仕事ではなかなか力を発揮できなかった人が、営業に移った途端、驚くほどの成果を上げることもある。
反対に、人と話すよりも、黙々と作業に取り組むことが得意な人もいる。
同じ人なのに、任される仕事や置かれる環境によって、力の発揮のされ方が変わる。
その人自身が急に変わったわけではない。
もともと持っていた力が、生かせる場所に出会っただけなのかもしれない。
もちろん、苦手なことを努力して身につけるのも大切だと思う。
自分がその場所に合わせることが必要なときもある。
でも、すべての人が同じことを得意とする必要はないし、誰もが同じ場所で同じように活躍できるわけでもない。
自分では当たり前だと思っていることが、別の場所では大きな強みになることだってある。
そう考えると、周りから評価されないからといって、その人に価値がないわけではない。
もしかしたら、いる場所が違うだけなのかもしれない。
昨日、飲食店で起きた小さな出来事。
日常の何気ない出来事も、立ち止まって考えてみると、自分の生き方につながる問いを見つけることがある。
今いる場所でうまくいかないことは、自分に価値がないということなのだろうか。
うまくなじめない場所があるからといって、自分まで否定しなくてもいい。
人も、場所が変われば見え方が変わる。自分では気づいていなかった強みが、思いがけない場所で生きることもある。
だから、今いる場所でうまくいかないとき、自分に足りないものを探すだけではなく、自分のよさが生きる場所について考えてみてもいいのかなと思う。
コトノハ (*ˊ˘ˋ*)