最期の「食べたい」を、誰が叶えてくれますか?

最期の「食べたい」を、誰が叶えてくれますか?

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コラム
訪問看護師として、これまで多くの方の最期に立ち会ってきました。
その中で、忘れられない方がいます。

その方は、ご夫婦お二人で暮らしていらっしゃいました。
財産も十分にお持ちだったようです。
けれど、最期の最期まで、食べたいものを食べることができませんでした。

呼吸も苦しくなってきていて、食べ物が気管に入ってしまう「誤嚥(ごえん)」の危険がとても高い状態でした。
それでもその方は、何日も「食べたい、食べたい」と言い続けていらっしゃいました。

私たち医療者は、ついその方を「その人」としてではなく、病名や状態で見てしまいます。
誤嚥の危険がある、だから食べない。
それは医療としては正しい判断です。
でも、その人が本当に望んでいることは、どこに行ってしまうのでしょう。

最期が近づくと、自分の思いを自分で伝えることが難しくなることがあります。
だからこそ、元気なうちに、自分の思いを代わりに伝えてくれる人を決めておくことが大切です。
それはご家族でもいいですし、信頼できる後見人さんでもかまいません。
前もって話し合っておくことで、最期まで自分の人生を自分で決めていくことができます。

その方は最後に、きちんと許可を得たうえで、アイスキャンデーを食べました。
本当に嬉しそうな顔でした。
その表情を、私はいまも覚えています。

看護師や介護士は、24時間ずっとあなたのそばにいることはできません。
もし財産があるのなら、残り少ない時間に、そばに付き添ってくれる方を雇うという方法もあるのではないか。
現場で、そう感じました。
お金は、最期の時間を「その人らしく」過ごすためにも使えるのです。

「最期に何を食べたいか」
それは小さなことのようで、その人らしさそのものです。
元気なうちに、大切な人と話しておいてほしい。
そして、言葉にしておいてほしい。
それが、私が「ことづて」を始めた理由のひとつです。

※ご本人やご家族が特定されないよう、内容の一部を変えてお伝えしています。
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