「全部自分が悪い」と思いたい理由

「全部自分が悪い」と思いたい理由

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コラム

私は何でも、人のせいにしたり物のせいにしたり、とりあえず自分以外のもののせいにするのはすごく嫌だった。

それは何でかわからない。
ただ昔からなんとなく…全部自分が悪いと思ってたし、他の人が責任転嫁してることも結構許せなかったと思う。

だから小さい頃は、人の嘘を
暴いたり、嘘つくなや!とか、壊れたんちゃう!壊したんやろ!とか、散々嫌なことしてたやつやったなぁって、うっすい記憶の中で、そんなこと言ってたような気がする自分が思い出せた。

私が人に嫌われるやつ。そのイメージだけが今の自分にも付きまとっていたけど、それを思い出せたから、そりゃ嫌われるであんた…と、今なら思う。し、さすがにそれがダメだと気づいたのか、いつからか責任追及するような性格はやめるようになっていた。

そして、責任追及することを辞めたことで、今度は自分に責任がかかる事はなるべくしないようにしよう…と思い始めたのか、私はなるべく自分の判断では動かなくなった。

それも、そうしようと思っていた頃はそうしようと頑張っていたかもしれないが、それが当たり前となった今では、自分がそうしていたことすら、一生懸命やっとの思いで思い出せるぐらい、自然にしていることなんだと思った。

それに気づいて思った事は、私はなんで、自分がこんなにも“責任の所在”について気にしているのか?ということだった。

以前、それに気づいて言葉くれた人は、「そんなに全部を自分のせいにしなくてもいい。完璧主義なのかもしれないですね」と言ってくれた。

だから私は、そうなのかもしれない。と思って、今まで『自分は完璧主義なのかもしれない』そう思って、いろいろなことを、失敗しても大丈夫、許せないのは自分だけ、と言うようなフレーズを自分の頭の中で思い浮かべながら、生活するようになっていた。
なので、性格的にはかなり大雑把になったような気がしていると思っているし、周りからも「ゆるい、何しても許してくれる」という評価をもらえるようになっていた。

それでも、やっぱり、自分のせいにしないと気が済まない案件と言うものがあって、今回私はそれに気がついた。

それは、自分がコミュ障だという話。

自分の中で、自分が思えばそうだから、自分が思わなかったらそうじゃなくなるんじゃないか?という話を、思ったりもしたけど、
今回はまたさらにその一歩奥に考察が進んだ話だと思う。

自分がそう思ったところで、じゃあそもそも、なんで自分はコミュ障になってたんや?と思って

で、これもあくまで仮説だが、私自身は私がコミュ障になっているから悪いんやと思ってた。

1人だけ周りとうまくコミュニケーションが取れないから、悪いんやって。だから、私がコミュ障を直せば、周りとの意思疎通がスムーズにできるんじゃないか?と思ってたけど、それはこの間、接骨院で私の印象を聞いてみると、他人が見てコミュ障だとは思わない。別に普通だという評価を、今は他人からもらえることを確認している。

そんな矢先、母親と少し言い合いになった。母親が言うには私の物言いは偉そうだ。上からものを言う。人の話をまず否定から入る。と言われてしまった。

確かに、母親の話をなぜその話をする?と思ってしまった。

内容は、私の週一回通っている接骨院の話だった。
私はそこの先生に、病気のこともあるから通ってる方が良いと言われたので、通い続けていたが、自分的にはなくても大丈夫なような気がしていて、でも、通ったほうがいいって言われてるしなぁと思って通っていたが、その先生がこないだ辞めたので、通ったほうが良いと言う人がいなくなるので、その他スタッフも何かいなくなるので、なんとなくこれを機に私もやめようかなと思って、それとなくそういう話を前からしていたから、次の予約で最後にしようと思う。と言う報告を母親にもしてみた。
すると、母親からのお返事は、「そうなんや。まぁ体が自分のものやし、動くことに感謝して生活したらいいんよ」という言葉だった。

私はその時に、ん?となった。

今年は接骨院を一旦やめようと思うと言う話をした。
母親から返ってきた言葉は、私がさも自分の体に不満を持っているような言い方の話だった。
というかそうだと思った。
だから私は思わず、「その話は何?私病気やけど」と返すと「だから、私が病気の事はわからへんけど、動いてることに自分自身で感謝して」と言われたので、やっぱり私が感謝してないって話じゃない?と思って、なんでそんな話をするのか?と少しきつめに聞いてみたら、偉そうだと怒られた。

今思えば、確かに、発端は私になるかもしれない。
でも、その時の私からしてみれば、自分の今後の生活の話を報告した。
その時、確かに母親は「そうなんや」と言う返事をしてくれていた。
私の話を聞いてくれていた。
でもその後よ…
すぐにその話を付け加えることで
私は自分の話がどこかに追いやられて、自分の動いてる体に感謝しなさいと、何やら説教を受けたような気になってしまったんやと思う。

その時はこの仕組みに気づかず、なんで言い合いになっているのかわからなかった

お母さんが決めつけて話を持ってくるから私が反発をしているんじゃないか?!
と、具体的にはまだわかってなかったが、そういう反論をして
でも母親的には私から突っかかってきたと言う見解でその場はもういいと言われた。

何がどうしてこうなった?

それはなんとなく考えていた。

それを、やっぱり私がコミュ障だから、うまく母親の言葉を受け取れないのだろうかと考え、でも母親に言われた事は感謝しなさいだった。

話がすり変わってる?!

そう思って、話が変わっていることに気づかなかった私が悪い!

と言う結論に達した。

が、それで自分の考えは終わらなくて、
この時は、
うまく受け取れなかった自分が悪い。
ではなく
話が切り替わっていることに気づかなかった自分が悪い。
と結局また、問題を掘り起こして考え続けていた。

そこで今回の話、さっき答えが出てしまっていたが(笑)

ちょっと振り返って、
結局は私が悪いとは思うが、それでも、切り返しが早すぎる、というか話の流れを変えるのが早すぎる母親も、案外要因ではないか?と思い始めた。

私は自分ばかりが悪いと思っていたけど、母親にも要因があるかもしれない。

そう思うと、蛙の子は蛙っていうの?そういうこともあるんじゃないかと思って、母親もコミュ障ではないのか?と思い始めて、

でも、ここで思ったのが、冒頭で言った、人のせいにはしたくないと言う話。

私は母親のせいにしたくないと思って、全部自分が悪いと思い込もうとしていた。

でも、母親にも要因があるのではないかと思うと、母親の要因となることを考え始めた。

すると、
母親は一旦私の会話は受け止めている。

けど切り返しに既に自分の話を持ち込んできている。

なおかつ、今回は、私がまるで感謝していないかのような言い振り。

これも、実際はそういう言い方なだけであってそう思っているかどうかわからないけど、
瞬間的な会話としては、そう受け取ってしまう。

でも、これで母親は何十年と何も思わずに、周りとのトラブルもなしに生きてきているとなれば、母親としては自分に悪いところは無い。

むしろ多分、周りの人も交友関係も、滞りないような人たちなんだろう。

要するに、母親としても、子供だから仕方ないにしても、未知との遭遇…(笑)

というか、多分本当に考えていることがわからない子供だったんだろうと思った。

それは子供の頃に、母親から「あんたの事はわからない」と、何回も言われ続けているから、そこの事実は合ってる。

そうなると、私が悪い…と思うのが、私の頭だったけど、

ここで、意識を変える。

私も悪いかもしれない、けど他にも要因はあった。

悪い事は悪いでわかった。

じゃあその悪いを、直すべきことなのか、別にそのままでもいいものなのか、

次はそれを考える。

そうすることで、悪いと思われる原因をどうにか見つけて、直せるようになるんじゃないか。

と思った。


となると…

何でも自分が悪いと思っている癖、
何でも自分が悪いと思おうとしていることは…

私の場合はもしかしたら、
ずっとその問題を考え続けて、いろんな仮説を出して、突き詰めるまで突き詰めて、原因を知りたいからなんじゃないか?
と、そう思った。


そう思ったら、
なんや…私ただの原因追及厨なだけやん…

と思って、じゃあ仕方ないなぁ

って、若干思えたので…

とりあえず、自分が悪いって思うのも、原因追及のためには仕方ないことなんかなって思えるようになった。

全然完璧主義とかじゃなくて…
ただ単に、「そもそも根本はなんや?」を知りたいだけ、やったんかも知れん…とそう思った。

じゃあ今後の母親との会話の対策は?

私が、受け取ってくれたと言う事実に気づき、次の話に変わってるなと気づくこと(笑)

で、今までの上からや反発やという、言い方ではなくなるんじゃないかな?と、自分に期待したいところである。

もし、「自分が悪い」と考えがちな方や、自分自身で気づいてない癖で直せるなら直したいと思っている方などいらっしゃいましたら、その原因になるようなことを一緒に考えたいと思いますので、お気軽にご相談ください🤗



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