「変」をどう扱うか|メモと歯車と小さな前進

「変」をどう扱うか|メモと歯車と小さな前進

記事
コラム
最近、「変」という一文字について考えていました。

きっかけは、AIがこれからさらに身近になっていく中で、人間に残るものって何だろう?という、ありふれた疑問です。

文章を書く。
画像を作る。
コードを書く。
動画を作る。

少し前まで「できる人」が限られていたことを、AIはどんどん補助してくれるようになりました。

では、人間側には何が残るのか。

そこで、ふと「変」という言葉が気になりました。

日本史には「本能寺の変」という有名な出来事があります。

もちろん、ここでいう「変」は「変な人」の変とは意味が違います。

異変、政変、事件。

それまでの流れが大きく変わる出来事です。

一方、現代の日常会話で、

「あの人、ちょっと変だよね」

と言えば、多くの場合は、

普通とは違う。
少しズレている。
妙なところがある。

そんな意味になります。

でも、この「普通から少し外れている部分」。

AIが整ったものを大量に生み出せる時代になるほど、案外重要になるのではないか?と思いました。

もちろん、無理に変人になるという話ではありません。

奇抜な文章を書く。
意味不明な画像を作る。
わざと変わったことをする。

それならAIにもできます。

私が気になっているのは、

人それぞれが、元々持っている「変」です。

なぜか気になるもの。

他人は気にしないのに、自分だけ引っ掛かること。

説明しろと言われても、うまく説明できない感覚。

何年経っても似たようなところへ戻ってくる思考。

そういうものです。

ここで、もう一つ気になった言葉があります。

「変化」です。

言葉の成り立ちとして、

「変」が起きて、そのあと「化ける」

という意味ではありません。

ただ、私は勝手に、

変 → 化

と分解して考えてみました。

自分の中にある「変」を、

文章に化けさせる。
作品に化けさせる。
仕事に化けさせる。
行動に化けさせる。

そう考えると、

「変を持っているか」

よりも、

「自分の変を、どう扱うか」

の方が重要なのかもしれません。

私は以前、

「メモと歯車と小さな前進」

という言葉を、自分の活動のキャッチコピーとして使い始めました。

半年以上前のことです。

当時は、そこまで深く理論化したわけではありません。

なんとなく自分に合う。

そんな感覚でした。

でも最近、

「小さく・1度で閉じ・フィードバック」

という行動原則を、自分の中で使うようになりました。

大きくやらない。

まず小さくやる。

一度の行動として終わらせる。

結果を見る。

そして次を考える。

そこで気付きました。

あれ?

これ、

「メモと歯車と小さな前進」

と、ほとんど同じ構造なのでは?

と。

「メモ」は観察です。

気付いたことを書く。

失敗したことも書く。

違和感も残す。

「歯車」は機能です。

一つ動けば、隣の歯車が動く。

一つ止まれば、別の場所にも負荷がかかる。

「小さな前進」は結果です。

大きく人生を変えなくてもいい。

一つ歯車が回った。

昨日とは少し違う。

それだけでも前進です。

そもそも、私が「歯車」という言葉を使った背景には、会社員だった頃の感覚があります。

会社という組織の中で、

人間が一つの機能を担う。

よく、

「会社の歯車になる」

という否定的な表現があります。

でも、本来の歯車は、

小さいから価値がないわけではありません。

一枚の歯車がうまく噛み合わなければ、機械全体が正常に動かなくなることもあります。

では、

これを会社ではなく、

一人の人間の内側に向けたらどうだろう?

と思いました。

人間の中にも、色々な歯車があります。

仕事。

生活。

感情。

体力。

人間関係。

趣味。

創作。

休息。

お金。

将来への不安。

全部を同じ速度で回す必要はありません。

むしろ、全部を同時に回そうとすると壊れることもあります。

小さな歯車を一枚だけ動かす。

それによって、隣の歯車が動く。

さらに、その先が少し動く。

人生って、そのくらいでもいいのかもしれません。

私はもう一つ、

「輪郭のない設計図」

という言葉も使っています。

設計図なのに、輪郭がない。

少し矛盾しています。

でも人生には、最初から完成図なんてありません。

「この人生を完成させるためには、この部品をここに配置してください」

なんて説明書もありません。

だから、

小さく動く。

一度終わらせる。

結果を見る。

メモする。

歯車を少し調整する。

また動かす。

そうやっているうちに、

最初は見えなかった設計図の輪郭が、後から少しずつ見えてくる。

そんな感覚があります。

最近の私は、

「変」を消し過ぎない方がいいのではないか?

と思っています。

社会の中では、

変なところを直す。

他人に合わせる。

分かりやすくする。

整える。

そういう力も必要です。

でも、自分の中の「変」を全部削ったら、

最後に何が残るのでしょう。

AIが綺麗な文章を書き、

綺麗な画像を作り、

綺麗なコードを書く時代だからこそ、

人間側は、

自分にしかない少し妙な部分を、どう扱うか。

そこが面白くなるのかもしれません。

変。

メモ。

歯車。

小さな前進。

輪郭のない設計図。

バラバラに考えていた言葉が、

最近になって少しずつつながってきました。

半年以上前に直感で置いた言葉が、

後になって行動原則として姿を変えて現れる。

これも、一つの「変化」なのかもしれません。

たぶん私はこれからも、

完成した設計図を描くことはないと思います。

メモしながら。

歯車を少しずつ回しながら。

時々、自分の中にある「変」を眺めながら。

今日も小さく前へ進みます。

――斑幽軟歩
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