『当たる占い師』って、そんなにすごいですか?──「当たる占い師」の、その先へ。私がプロとして大切にしていること

『当たる占い師』って、そんなにすごいですか?──「当たる占い師」の、その先へ。私がプロとして大切にしていること

記事
占い
自己紹介記事はこちら



「あの占い師、すごく当たるよ」

占いの世界では、よく聞く褒め言葉です。

もちろん、占いを依頼する側からすれば、当たるかどうかが気になるのは当然でしょう。せっかくお金を払って鑑定を受けるのですから、的外れなことばかり言われても困ります。

ただ、占い師として仕事をしている身からすると、私はこの言葉を聞くたびに少し不思議な気持ちになります。

プロの占い師にとって、「当たる」ことはそんなに特別なことなのでしょうか。

少々厳しい言い方になりますが、私はむしろ逆だと思っています。

プロとして料金をいただいて占っているのなら、ある程度きちんと読めることは大前提。

「当たりました。すごいでしょう」で終わるのではなく、仕事はそこから先にあるはずです。

今回は、そんな「プロの占い師とは何をする仕事なのか」という話を、私自身への戒めも含めて書いてみようと思います。



 「当たった。……それで?」から始まる話

タロットでも占星術でも、勉強していれば「当たった」という経験自体は、プロでなくても起こります。

初めてカードを触った人が驚くほど状況に合ったカードを引くこともありますし、趣味で占星術を勉強している人が、知人の性質を見事に読み取ることもあります。

だから私は、

「当たること」だけをプロの価値にはしたくありません。

もちろん精度を高めるための勉強や経験は必要です。

しかし、お金をいただいて人の悩みを扱うなら、そこから先があります。

たとえば、

「今のままだと、この関係は続きにくいでしょう」

という結果が出たとします。

では、それを相談者に伝えて終わりでしょうか。

私は違うと思っています。

なぜ関係が悪くなっているのか。

本人は本当に別れたいのか。それとも関係を立て直したいのか。

改善できる部分はあるのか。

相手との間にどんな問題が起きているのか。

現実的な生活条件はどうなっているのか。

本人の性格や、それまでの経験はどう影響しているのか。

もし続けたいのなら何ができるのか。

もし離れるのなら、何に備えておいた方がいいのか。

占いで見えたものを、その人が現実で使える情報へ変換していく。

私はそこまで含めて鑑定だと考えています。



人間を占いに押し込めたくない

私は昔から、人間を簡単なラベルで片づけることがあまり好きではありません。

「普通はこうする」

「こういう人は○○だ」

「あなたは○○座だからこういう人」

そう言ってしまえば簡単です。

でも、人間はそんなに単純ではありません。

同じ行動をしていても、そこに至った事情は人によって違います。

性質も、育った環境も、それまでの経験も、現在置かれている状況も違います。

だから私は、占いでも心理的な知識でも、その人を見るための道具として使いたいと思っています。

道具の方へ人間を押し込めてしまったら、本末転倒です。

たとえば、

「このカードが出たから別れなさい」

「この星を持っているから、あなたはこういう人です」

だけで話を終わらせてしまったら、せっかく目の前にいる「その人」が消えてしまいます。

占いは、本来なら一般論だけでは拾えないものを見ることのできる道具でもあります。

だからこそ私は、占いを使って人間を雑に分類することには慎重でありたいのです。


占いは、人を従わせるための道具ではない

そして、もう一つ。

占い師として、絶対に越えてはいけない線があると私は考えています。

それは、

占いを使って相談者をコントロールすることです。

たとえば、

「前回、私の言ったことは当たりましたよね」

「だから今回も、私の言う通りにした方がいいですよ」

一見すると、相談者のことを心配しているようにも聞こえます。

しかし、少し立ち止まって考えてみてください。

占いが当たったことと、占い師にその人の人生を決定する権利が生まれることには、何の関係もありません。

カードから何かが読める。

星からある傾向が見える。

このまま進んだ場合に起こりそうなことを提示できる。

それらは、占い師が相談者へ提供できる情報です。

では、その情報を知ったうえでどうするのか。

進むのか。

やめるのか。

別の方法を探すのか。

危険性を承知したうえで、それでも挑戦するのか。

最終的に決めるのは、相談者本人です。

占い師にはカードを読む技術があるかもしれません。

星を読む知識もあるでしょう。

本人がまだ気づいていない問題を見つけることだってあります。

でも、相談者の人生を代わりに生きることはできません。

「あなたのためだから」と選択肢を取り上げ、

「占いではこう出ています」と自分の判断へ従わせる。

私は、それを「寄り添い」とは呼びません。

それは支配です。


「何でも肯定すること」と「支配しないこと」は違う

ただし、ここには一つ誤解してほしくないところがあります。

相談者の自由意志を尊重することは、

「相談者の言うことを何でも肯定する」ことではありません。

私はむしろ、そこも違うと思っています。

危険だと思えば、危険だと伝える。

問題があるなら、問題があると伝える。

本人にとって耳の痛い結果でも、必要なら伝える。

場合によっては、

「このままでは同じことを繰り返す可能性があります」

「そこは相手だけではなく、ご自身でも見直した方がいい部分かもしれません」

といった話をすることもあるでしょう。

相談者が欲しがっている答えを提供することと、その人に必要な鑑定をすることは、必ずしも同じではありません。

だから私は、

「私はこう読みました」と伝えることと、
「だからあなたは私の言う通りにしなさい」と命令すること


を明確に分けています。

厳しいことを言わないのが優しさなのではありません。

反対に、厳しいことを言えるから偉いわけでもありません。

大切なのは、

その情報が誰のために使われているのか。

そこだと思っています。


本気で相談する人には、こちらも本気で向き合いたい

私は基本的に、相談者に寄り添う形で鑑定しています。

ただ、「寄り添う」という言葉を、

「何を言っても肯定してくれる」

「ずっと慰めてくれる」

という意味では使っていません。

問題から本気で脱したくて相談している人には、こちらも本気で向き合いたい。

一緒に問題を整理する。

必要なら原因を見る。

できそうな方法を探す。

一つの方法が無理なら、別の方法を考える。

途中で動けなくなったなら、なぜ動けないのかを見て、現実的に実行できる形へ調整する。

そういう意味での「寄り添い」です。

もちろん、人には事情があります。

本気だからといって、すぐ行動できるとは限りません。

疲れていることもある。

環境的に動けないこともある。

お金の問題もある。

怖くて一歩が出ないことだってあります。

だから私は、行動量だけでその人の本気度を測るつもりはありません。

ただ、問題を扱う意思そのものがない状態で、こちらだけが全力で引っ張り続けることも違うと思っています。

迎合はしない。
支配もしない。
一緒に問題を見る。


私が目指しているのは、そのくらいの距離です。


だから、安ければいいとも思っていません

これは価格についても同じです。

私は以前より、少し価格を上げています。

もちろん、価格が高ければ相談者の本気度も高い、などという単純な話ではありません。

高いサービスでも軽い気持ちで購入する人はいるでしょうし、本当に困っていてもお金を出せない人もいます。

それでも、価格はサービスの入口を作る要素の一つです。

無料だったり、極端に安かったりすると、

「とりあえず聞いてみよう」

「暇だから占ってもらおう」

という利用も増えやすくなります。

それ自体が悪いわけではありません。

占いを娯楽として楽しむことも、もちろん私は否定しません。

ただ、私自身が提供したいものとは少し違います。

こちらも時間と知識を使って、本気でその人の問題を扱う。

だから、同じように「自分の問題をちゃんと扱いたい」と思っている人に来てもらいたい。

そのための価格でもあります。

一方で、私は弱っている人から必要以上にお金を取りたいとも思っていません。

困っているから相談に来ている人へ、さらに大きな負担を背負わせるのも違う。

だから価格については今でも、

自分の仕事を安売りしないことと、相談者へ過剰な負担を課さないこと。

その間を考え続けています。


一人の占い師が、「占い師ってこういうもの」を作ってしまう

私がこの話をこれほど気にするのには、もう一つ理由があります。

一人の占い師との出会いは、ときにその人にとって、

「占い師というものとの出会い」

でもあるからです。

丁寧に扱われれば、

「占いって、こういう使い方ができるんだ」

と思うかもしれません。

反対に、雑に決めつけられたり、不安を煽られたり、高額な商品へ誘導されたり、占い師の価値観を押しつけられたりすれば、

「占い師なんて、みんなこんなものなんだ」

と思われても仕方ありません。

そして実際、占いというもの自体を怪しいと感じている人は少なくありません。

私は、それがとても悔しいのです。

占い師の中に問題のある人がいることまで否定するつもりはありません。

むしろ、いるからこそ問題なのです。

真面目に勉強して、相談者を雑に扱わないよう気を配って、必要なら占術以外の知識も学びながら仕事をしている占い師もいます。

それでも、目立つ一部の行動によって、

「占い師=人を騙す人」

「占い師=不安を煽る人」

「占い師=自分の言うことに従わせる人」

というイメージが作られてしまう。

一人ひとりの仕事が、そのまま業界全体の信用と無関係だとは、私は思えません。

だからこそ、占い師を名乗って仕事をするなら、その看板にも責任を持ちたいと思っています。


人の人生に触れる仕事だから

これは占いに限った話ではないと思っています。

医療でも、心理支援でも、教育でも、福祉でも。

人の人生や心身に深く関わる仕事には、大なり小なり同じ問題があります。

資格や肩書きがあることと、その人が目の前の相手を適切に扱えることは、必ずしも同じではありません。

むしろ、専門家という立場にはそれだけの力があります。

「専門家が言ったから」

「先生が言ったから」

その言葉だけで、人の判断を大きく動かすことがあります。

だから私は、肩書きが強くなるほど、その力をどう扱うかについても慎重であるべきだと思っています。

もちろん占い師は医師ではありません。

できることも、責任の種類もまったく違います。

だからこそ、医療が必要な領域まで占いで何とかしようとするべきでもありません。

それぞれにできることと、できないことがあります。

でも共通しているのは、

目の前にいるのは「症例」でも「星座」でも「カードの結果」でもなく、一人の人間だということ。

そこだけは忘れたくありません。


プロの仕事は、「当たった」その先にある

長くなりましたが、結局、私が言いたいことはシンプルです。

私は、占いが当たること自体を軽視しているわけではありません。

むしろプロなら、技術は磨き続けるべきでしょう。

読めないものを読めるふりもしない。

分からないことは分からないと言う。

自分の技術が足りないなら勉強する。

そこは当然です。

ただ、それだけではプロの仕事は完成しないと思っています。

当てる。

そして、

その情報をどう扱うのか。

相談者の背景を見る。

事情を見る。

本人の希望を見る。

現実を見る。

必要なら耳の痛いことも伝える。

それでも、最後の決定権は本人へ返す。

占い師自身の正しさを証明するためではなく、相談者が自分の人生を考えるために占術を使う。

そこまでやって、ようやく一つの鑑定になる。

だから私は、「当たる占い師」と聞くと、ときどきこう思います。

当たることの何が、そんなにすごいのだろう。

プロとして料金をいただいているなら、それはむしろ出発点ではないでしょうか。

本当に問われるのは、その先です。

当てたあと、その人に何を返せるのか。

そして、

その人の人生を、その人自身の手に残したまま帰してあげられるのか。

私は、そこまでできる占い師でありたいと思っています。

サービス一覧

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す