こんにちは、YUSAKODAです。
今日は、私の幼い頃の話も交えて、
母との関係性について、つぶやいてみます😌
思いのほか、長くなっちゃったので2部構成でお届けします。
幼い頃の話と言っても、50年も生きていると記憶も曖昧😅
ただ、その曖昧になっていく記憶の中で居続けているということは、
忘れられない記憶なのか、忘れちゃいけないものなのか、
そんな存在意義もなく、ただ印象が強かっただけなのか…
どんな状況で、どんな経緯で言われたのかも忘れたんですが、
私は、母に「あんたは、近くの高架下で拾ってきた子だ」と、
なんとも衝撃的なことを言われたことがあるんです。
これだけ聞くと、子どもにそんなこと言うなんて、ひどい親だ!とか、
精神的な虐待だ!と思われるかもしれないんですが、
全然、トラウマとかそういうんじゃないんですよ💦
当時も今も言われた本人は「へぇ〜♪そうなんだ…」なんですw
この時、母がどういう思惑で幼い私に言ったかはわかりませんが、
本当に申し訳ないくらい、ノーダメージでした😅
あれから数十年、大人になるにつれ、顔も母にそっくりになってきて、
実の姉妹(叔母たち)にも、電話で間違われるくらい声も似てます。
拾ってきた子なのに、おかしいですね〜w 今では母娘間でネタにしてます。
まあ、実際、本当にどこかで拾ってきた子で、血縁関係がなくても、
私の価値観の中では、それは何の問題もないことです。
これまで育ててくれた感謝は同じですし、
これから年老いていく母の面倒は最後まで見るつもりですし、
もしも、母の言ったことが本当で、私を捨てた親がいるとしても、
恨みもつらみも執着もないし、なんの感情もありません。
実際、いないんですけどねw
ただ、ふと、どうして幼い私はノーダメージだったのかな〜と考えると、
当時の、私の周りの環境が大きかったのかなと思います。
私は、幼少期に、いわゆる下町の長屋に住んでいて
幼馴染もたくさんいて、その親御さん、ご近所さんなどなど、
年齢関係なく、さまざまな人との関わりがある環境でした。
今思うと、時代に恵まれてたんだな〜と感じますが、
近くの市場を1人でウロウロしてると、うどん屋さんの大将に、
「YUSAKODAちゃん、うどん食べていきな♪」と誘われたり、
「おやつ食べにおいで♪」と、近所のおばあちゃんに家に招かれたり、
自宅の記憶より、他所様のお宅で過ごした記憶の方が鮮明なくらい。
周りの大人たちが、誰がどこの子なのかを、ちゃんと把握していて、
幼い私たちがプチ冒険してても、こっそり何かご馳走になっていても、
ご近所ネットワークで、ぜ〜んぶ親には筒抜けでした。
スマホもガラケーもない時代、どうやっていたのか本当に謎ですw
良いところは褒めてくれ、悪いことしたら雷を落としてくれる大人がいて、
子どもたちも、年齢関係なく仲が良くて、たまに喧嘩もしながら、
それぞれの得意不得意で補いあい、ありのままの姿を認めてくれてる。
そんな「地域で子育て」のモデルケースのような環境で育ちました。
だから、親に「拾ってきた子」とか、「うちの子じゃない」って言われても、
「どうしよう…」って危機感を感じなかったんだと思います。
それに、たとえ「どうしよう…」と思ったとしても、
周りに頼れる人が、大人も子供も含め、迷うほどいましたからね。
ポイっと外に捨てられたとしても、行くあてなんてたくさんあったし、
なんなら「どこの家の子になろうかな〜♪」ってくらいだったんでしょうね😅
そう思うと、そんな環境下で育ててくれた親にも感謝だし、
この時期があったから、今の私の価値観は形成されたんだろうなと思います。
でも、どうして母がそんなことを言ったのかは、いまだに謎です。
たぶん、我の強い私が母にそう言わせるようなことをしたんでしょうw
だから、自分に不都合な記憶を薄れさせてるのかもしれません😅
肝心の母との関係性は、長くなったので後編に書きますね💦
たわいもないお話もお聴きします。話してスッキリしましょう♪