私と母との関係性 〜後編〜

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コラム
こんにちは、YUSAKODAです。

前回は、母からの「あんたは拾ってきた子だ」発言にも、
まったくノーダメージだった私の幼少期ついて、
つらつらとつぶやきました。


書いてるうちに長くなちゃったので、
今回は、その続きです😅 お付き合いください♪


自由奔放…すぎるくらいの幼少期を下町で過ごしましたが
私が小学校に上がって、はじめての夏休みを迎える頃、
父がお店を出すことになり、引越し&転校することになります。

小学校が目の前で、幼なじみや顔馴染みの大人がたくさんいる環境から、
知り合いは誰もいないし、周りは田んぼだらけでカエルもうるさいし、
学区の端っこだから登下校にも時間がかかって、大変なことばかりでした。

でも、下町生活で培った足の速さとドッジボールの強さを武器に、
クラスメイトとはすぐに打ち解けることができ、不安も払拭されました。

この年代の足の速さとドッジボールの強さは重要ですからねw

そのうち、持ち前の気の強さと世話焼きスキルもフル稼働し始め、
学級委員に選ばれたりもして、友達もたくさんできました。



そんな中、あいかわらず、母との繋がりは希薄でした。

あっ、母の「拾ってきた子」発言は、全然関係はありませんよ😅
そもそも私が気にしてないし、ノーダメージなのでw 

ネグレクトとか虐待とか、喧嘩ばかりだったとか、そういうのでもなく、
ただただ、母との気持ちの関わりが薄かったと言うんでしょうか…

幼い頃に一緒に自宅で過ごしたり、お出かけした記憶もあまり残ってないし、
そこにいるはずの母の姿も印象もゼロに等しいほどありません。

写真には残っているので、そういう事実がないというわけでもないんです。
普通に日常生活を送っていたし、険悪な雰囲気だったわけでもない。
でも、思い出として、私の記憶の中にいない…いても、薄いんですよね。


参観日などの学校行事にも来たはずなのに、母の姿は思い浮かびませんし、
記憶の中で、あの時、褒めてもらって嬉しかったな〜と覚えているのは、
担任をはじめ、部活や委員会で関わった先生達の方が印象は大きかったです。

学校の先生は「こんな風にするなんてアイデアがすごいと思う♪」とか、
「ここをもう少し工夫してみたら、もっと良くなると思うよ!」と、
具体的に褒めてくれることが多かったし、アドバイスもしてくれ、
ちゃんと見てくれてるんだという実感を得られる関わりをしてくれました。

小学校の卒業時に先生方にもサイン帳にメッセージをもらいましたが、
本当に細かいところも見守ってくださっていたんだなという言葉や、

「いつも笑顔に元気をもらってたよ。YUSAKODAスマイルで頑張って♪」
と、クールな印象を持たれがちだった私の笑顔を褒めていただけて、
すごく嬉しかったことを覚えています。


一方、母は、私が良い成績だったり、習い事で表彰されてきても、
それが当たり前とは言いませんが、淡々と受け止めるだけだった気がします。

実家にあった賞状やトロフィーも、後々、勝手に処分されていましたし、
「すごいね!頑張ったね♪」という台詞は、聞いたことがなかったです。

いや、あったのかな〜。あっても覚えてないってことですよね…

でも、母に褒めてもらいたい!って願望があるわけじゃないんですよ💦

言い方を選ばなければ、母からの評価は正直どうでもよくて、
ちゃんと他の人たちが評価してくれてるという認識もありましたし、
私としては気持ちよく褒めてくれる人の方が良いに決まってる。

そういう点では、ここでも周りの人たちに恵まれていたんだなと思います。

それに自己肯定感は、セルフで育まれるシステムが確立してたので、
自分で自分を褒めることもナチュラルにやってましたw

小さい頃から書道を習っていたので、学校内外で賞をいただけたり、
ランクアップすることも、わかりやすくて良かったのかもしれません。

成績は情報として母には伝え、淡々とやりとりをしていたという感じです。

ここで、さらに母からの評価や賞賛、愛情表現を期待する自分がいたら
ないものねだりで、ちょっとややこしくなってたかなとも思います。

良くも悪くも「母」への執着がなかったから期待もしなかったし、
期待しないってことは、無駄に裏切られるってこともないんですよね。

私の中で母は、話してみても、あまり本心がわからない、そんな感じでした。

なので、本人に言ったら傷つけてしまうかもしれないけど、
母からの評価はどっちでもいい、興味がなくても全然OKだったんです。


そんなドライな親子関係でも、何の支障もなく過ごしてきましたが、
大人になってようやく、なんとな〜く母のこともわかってきて、
親として子として、母として娘としてじゃなく、1人の人として、
大人同士の何気ない会話も楽しくできるようになってきました。


正直言えば、気は合いません。

もっと言えば、友達にもなれないタイプだと思いますし、
今も電話しててイラッとすることも多々ありますw

たまたま、ご縁があって親子だったから繋がってるだけ。
離れる必要がないから、離れないだけです。

そんなことを言うと悲しい感じもするかもしれないけど、
でも、私の感覚からしたら、それが一番しっくりきます。


私は長女気質の世話焼き&おせっかい、
母は末っ子で何でも受身の大人しいタイプ

基本的な気質が全くといっていいほど違うんです。

だから、幼い私と、親になったばかりの母はバランスが悪かったし、
私が大人になってからの方が、関わりの相性自体はいいんでしょう。

母がわからないことや出来ないことがあると電話で聞いてきて、
私は渋々ながらも世話を焼いて、結局、手取り足取り教えて、
聞かれてないこと頼まれてないことまでやってしまうw

「助かったわ。ありがとう♪」

最近になって、そんな言葉を掛けてもらうようになりました。

あ〜、これなら悪くないかもしれない。

褒められるよりも、感謝される方が私の性に合うみたいで、
この言葉は、すんなり心の中に入ってきました😌


以前も書いたことがありますが「親」とか「子」って肩書きは、
必要な時だけつけるようにすればいいと思うんですよね。

いらない時までつけてるとややこしいし、めんどくさい。
いつでも取り外しできる方が自由で良い♪

母は、自分に合わない「母」という肩書きを持て余していたし、
「子」という肩書きの私のことも持て余してた…

私が子どもを産んで母親になって、息子との関係性を見た時に、
母も自分の「母」という肩書を、ようやく外せたのかもしれません。

母親は、四六時中「母」じゃなくてもいいんだって。

私はたまにしか「母親」になりません。基本的に私は「私」です。

息子とも小さい頃から1人の人間として接してきたつもりで、
関係性は良い方だと思っています。共に成長した仲間って感じかな。

たわいもない話をしたり、相談を受けたりされたり、
苦手なことは助けてもらい、得意なことは教えてあげる、
大きくなってからも小さい頃も、良き友人という感じ。


義実家とも「嫁」の肩書が薄れてきてからの方が関係は良好です。

そうそう、義母にも「助かったわ。ありがとう♪」と、
母と同じセリフを言われたことがあります。

まるでドラマのような、熾烈な嫁姑のやりとりをしたこともあるのに、
いつしか年月が経って、いろんな出来事を共にし、同志のような関係に。

親戚の集まりの後に、ふと「ありがとう」を言われた時は、
「もう、何言ってるんですかー!」と笑って誤魔化したけど、
本当は、飛び跳ねたくなるほど嬉しかったし、泣きそうでした。

「嫁」としてというより、「私」を評価してもらった気がしたし、
それを、素直に嫁の私に伝えられる義母に感動して、愛おしかった😊

私は人としては義母の方が気が合うし、ノリも合います。
どっちを友達にするかって言われたら、実母より義母です。
喧嘩してでも言いたいことを言い合えて、わかりやすいからw

血のつながりがあってもなくても、肩書きがなんであっても、
固定観念を持たずに、その人と関わっていけば、
シンプルに見えてくることも、たくさんあると思います。

子育てに悩んでいる人も、大人になってから親子関係に悩んでる人も、
一度、フラットな関係性を意識してみると、何かわかるかもしれませんね。

私の経験や考えが、お悩みごとのヒントや解決の糸口になれば幸いです。

長くなりました。ではでは👋



もやもやした思いも話してみるとスッキリしますよ♪
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