不登校——子どもが居場所を選べないという現実

不登校——子どもが居場所を選べないという現実

記事
コラム
同じ不登校の話なのに、集まる言葉が、まるで違いました。

以前、SNSで二つの投稿を見かけました。

一つは、子どもが学校に行けなくなったという親の投稿。
コメント欄には、甘えだ、親の責任だという
強い言葉が並んでいました。

もう一つは、不登校の子が海外の学校に行ってみたいという投稿。
こちらには、あの国の学校は合うかもしれませんよという
穏やかな道案内が集まっていました。

片方には爆弾が降って、片方には道案内が降った。
この違いはどこから来たんだろうと、
あのあともときどき考えていました。

優しい人が集まっていたからではない気がします。
たぶん、あの人たちは知っていたのだと思います。

世界には、学校がいくつもあること。
道が一本ではないこと。

物差しが一本しかないとき

学びの場は一つしかないと思っていると、
そこから外れた子は落ちた子に見えます。

落ちた子に見えるから心配になります。
心配が、甘えだ、という強い言葉に変わります。

道がいくつもあると知っていると、
外れた子は別の道にいる子に見えます。

だから、あの国がいいですよと
道を教える言葉になります。

爆弾と道案内を分けていたのは、優しさではなくて、知っている世界の広さでした。

物差しが一本しかないと、
人はその一本で測るしかありません。

私も、そうでした。
学校に行くか、行かないか。
その一本で子どもを測っていた時期があります。

それでも、環境は選べない

でも、と思う方もいると思います。
「うちは留学なんてさせられない」
私も同じです。ほとんどの家庭がそうだと思います。

子どもは、環境を選べません。
生まれた場所で学区が決まって、
そこで子ども時代の何年かを過ごします。

合うか合わないかは、あとからわかります。

大きな学校の人の多さが
何ともない子もいます。しんどい子もいます。

小さな学校の、いつも見られている感じが、
安心な子もいます。息が詰まる子もいます。

同じ子どもはいないのに、環境のほうは選べない。
靴なら合うサイズを探すのに、
学校は合わせるほうが前提になっています。

選べなくても、知っておくことはできます

ここが合わないだけで、どこも合わないわけではない。
世界には別の場所があって、別の道で生きている子がいる。

それを知っているだけで
目の前の子どもの見え方が変わります。

行けない子ではなくて、ここが合わない子。
壊れているのではなくて、サイズが違うだけ。

親の目が変わると、たぶん家の中の空気が少し変わります。

ただ、どの物差しが合うのかは家庭ごとに違います

一本の物差しを手放したあと、では何を見ればいいのか。
それは、お子さんの様子と、家庭の事情と、
これまでの経緯によって変わります。

毎日そばにいるほど、かえって見えにくくなることもあります。

私は「たまゆらの手紙」という往復書簡のかたちで、
不登校のお子さんを持つ親御さんのご相談をお受けしています。
いただいたお手紙を拝読して、その家庭の状況に沿った見方と、
今日から始められる一歩を、7日以内にお返事として書きます。
お返事は、便箋のかたちのお手紙(PDF)でお届けしています。

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最後に


書いているのは、人の心身に関わる仕事を長く続けながら、我が子が学校に行けなくなる時期を自分でもくぐってきた一人です。
仕事では多くの親子をすぐそばで見て、家では当事者として過ごしました。

物差しは、増やせます。測るためではなくて、この子にはどれが合うんだろう、と眺めるために。
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