神が人に成り下がった理由

神が人に成り下がった理由

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コラム
なぜ、わざわざ全知全能で完璧で罪も汚れもない存在が、人間の次元にまで落ちてまで、この世にやってきたのか。たぶん、過去記事でも書いたと思うが、神の本質は愛なので、人と同じ目線に立つために、あえて人に成り下がって、地上にやってきたのです。たとえば、親が赤ん坊をあやす際、「あばばば~」とか言ってですね、自らの知能をあえて下げて、赤ん坊と同じ目線に立とうとしますよね、それと同じことなんです。親が自分の子を愛するがゆえに、自らの次元を下げる、それが愛なわけですよね。だから、神も人を愛するがゆえに、自らの次元を下げて、人として、この世にやってきたわけです。
汚れたくもないのに、わざわざ女の股の間から生まれてきて、罪人になりたくもないのに、わざわざ罪人として、極刑に処されるというシナリオを描き、食べたり飲んだりしたくもないのに、わざわざ食べたり飲んだりして、全て人の次元に自らを落とし込むために、そうしてきたわけです。これが愛でなくてなんでしょうか、神の本質は、愛なのです。そもそも愛が無ければ、この世が生み出されることすらもありません、創造すること自体が愛から生まれることだからです。そして私はそんな神に愛されたがゆえに、フラットアースを知り、神を知り、真実を知り、善悪を知るようになったのです。つまり私の生き方はおおむね正しかったということです。まあ、罰もたくさん与えられましたが、それも地獄行きを回避するためと考えれば、その罰すら愛なわけですよね、手遅れな人間には罰すら与えられないのですから。あなたは神から罰を与えられましたか?「いや、私は完璧な人間だから罰など与えられようがない!」と自信を持って言えるなら、あなたは素晴らしい。でも、ひょっとしたら罰すら与えられない手遅れな人間だから罰があたえられないのかもしれません。そして手遅れな人間は、私の言ってることも何一つ理解できないでしょう。

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