神はなぜ人に慈悲をかけるのか

神はなぜ人に慈悲をかけるのか

記事
コラム
人の心が悪に傾きやすくできているのは、人が罪を克服できるようにという神の計らいではないかと私は思っているのですが、そもそもなぜ、神は人に慈悲をかけるのでしょうか?
それは創造主としての責任なんですよ。私は自分の意志でこの世に生まれてきたわけではありません、生まれたくもないのに勝手に生まらされて、罰せられることにビクビク怯えながら生きなきゃいけない、考えてみれば理不尽ではありませんか?私が罪を犯すのは、そういう風に作られたからだ!作った者が悪いんだ!と開き直ってしまう人がいてもおかしくはありません。
実際、聖書にも、そのことについて書かれている部分があるんですね。
イザヤ書29:16
お前たちはなんとゆがんでいることか。陶工(陶器師)が粘土と同じに見なされうるのか。造られた者が、造った者に言い得るのか。『彼がわたしを造ったのではない』と。陶器が陶工に言いうるのか、『彼には分別がない』と。
パウロ書簡ローマ9:20
人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた者が造った者に、『どうしてわたしをこのように造ったのか』と言えるでしょうか。焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか。
どうですか?要するに、神に文句たれてる暇があったら、自分の努力でその歪み切った魂から罪を取り除くように頑張れよ、ってことです。
神に製造者責任があるとはいえ、その責任の全てを神に丸投げするなということですよ。神は慈悲をかけてくれるとはいえ、限度ってもんがあるんですわ。
陶工は、失敗作を容赦なく打ち砕く権限があるんですからね。それをお忘れなきように。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す