神を知った時、最初に感じたのは安心感ではなく恐怖

神を知った時、最初に感じたのは安心感ではなく恐怖

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コラム
私が神の存在を知る入り口となったのは、フラットアース、つまり我らの立つ大地が球体ではなく平面であり、宇宙空間というものは存在しないということを知った時、そして虚構の世界を演出するために時空を超えて多くの悪魔の僕たちが協力して我らを騙していたということを知った時です。
普通の人は、神の存在を知った時、安堵するというか、喜びを感じると思いますが、私はとてつもない恐怖を感じました。普通の人は、神様は見てくれているんだぁ、とか、神様助けてくださいとか、神様お願いします、とか、自分にとって有益なことになることばかり想像してるから恐怖を感じないわけですよね、つまり神を舐めきっているわけです。今の時代ほど神の存在が軽んじられている時代はありません。たとえば「〇〇は神!」とか気軽に使うわけでしょ、いや、それ自体が神の怒りに触れるということはありませんが、問題は神の存在にリアリティを感じてないことにあるんですよ。架空のものとして扱っていること自体がまずいのです。実際に存在する神から、罰を食らうかもしれないと思えばこそ、罪を犯さないようにしようという抑止力が心に起こるのであって、心の中に「神などいるものか」と思っていれば、気軽に罪を犯すようになるんですよ。しかも今の時代は、罪が罪とされない時代なので、悪いことをしているな、という罪悪感すら発生しないわけです。これこそが悪魔の長年の努力の成果なわけです。罪悪感が発生しなければ悔い改めることすらできないわけですからね。そして人間の基準と神の基準は違うので、人間がいくら、なぜこれが罪になるんだ!と喚いたところで、神の絶対的基準により厳正に処罰されます。しかし、神は、恐怖で支配して人に言うことを聞かせません。私も自ら心を修正して、徐々に罪から離れていってます。のど元にナイフを突きつけられながら脅されて言うことを聞かせられてるとしたら、そこに神への愛などあるわけがありません。むしろ憎しみしか感じられないでしょう。だからこそ神は普通の人にはその存在さえ明かさなかったのです。自由にさせたのです、なぜなら神を愛せる人は、もともと罪から離れ去ることができる魂だからです、罪とともに居たい魂は、神を愛せません。ちなみに、神は恐怖を感じません、全てを知っている存在であり、何でもできる存在に、恐怖という感情は発生しえません。しかし神は、恐怖という感情を知るために、イエスを地上に遣わしました。イエスは神の分裂体なので、魂の根っこの部分はつながってますが、あえて神の能力の一部を制限して送りました。だからこそ、人間の気持ちに寄り添うことができるのです。イエスが処刑される未来を知った時、恐怖を感じたでしょう、この時初めて、神は恐怖という感情を理解することができたのです。神は人を愛しておられるので、人の目線に立ちたいがために、このようにしたのです。恐怖や悲しみという感情は、完璧な存在からは発生しえませんので、あえてこのようにしたのです。
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