人に認められるようにでなく神に認められるようになれ

人に認められるようにでなく神に認められるようになれ

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私は、自分で言うのもなんですが、仕事ができるタイプの人間ではありません。不器用ですし、体力もありませんから、何かしら誰かに、どやされたり、責め立てられたりしているような人間です。
世間一般では、仕事がバリバリできて、支払いも期限までに済ませる、そういう人が評価が高いです。むしろ、そこにしか評価点はないのです。仕事できて金払いが良ければ、他のことはどうでもいいのです。
しかし、人に認められるように生きるのではなく、神に認められるように生きなければ、最後には後悔します。
私は刑務官時代も、受刑者に対して強くものを言うことができませんでした。それで、お前は優しすぎるから、もっと厳しく指導しろと言われたものです。
しかし、私のようなものが、人にたいして偉そうに、ああだこうだと指導する資格があるのだろうか?と思い、そもそも私は刑務官には向いてないなと思いました。私は自分の弱さが憎かった。世間一般では弱者というのは、単に不要であるばかりか、迷惑がられる存在でしかない。なので強さを求めました。
弱者は排除される、それがこの世のさだめであるならば、弱くても、抗うしかない・・武道や武術を習い、仕事終わりに毎日10キロのランニングをしたりもしましたよ。だが、それが私が心の底から求めていた生き方ではなかった。
何か違う・・そもそも正しさとは何か、それは心のあり方そのものではないのだろうか?それなのに誰もその正しい生き方をしていないのです。しかも、正しい生き方をしていないのにも関わらず、それが逆に良しとされているのですから、私は混乱するばかりでした。苦悩と混乱と世間との認識のずれ、これは私はこの世から排除されるべき人間なのかと自殺することさえ考えるようになりました。しかし、神はこう言ってます。「お前の強さは、弱さの中でこそ発揮されるのだ」と・・つまり、弱くてもいいんだよみたいな、気慰めではなく、むしろ弱いから強い、ということなのですよ。なので、パウロもこう言ってます、私は弱さ以外は誇るまい、と。でも、パウロは実際、強かっただろうから、謙遜にしか聞こえないんですよね。弱かったらキリスト教会を襲撃して信徒をひっ捕らえて裁判にかけて処刑するなんて、絶対できないですからね。私のように本当に弱い人間が言わないと、そうだろうなぁとは誰も思えないでしょう。
最近、プロボクサーの選手や、格闘家や、オリンピック選手などの「強い方々」が、どんどん亡くなってますね・・。強さが逆にあだとなってしまったのでしょうね。一般的に、体力と性欲と強さと頭の悪さは正比例します。
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