ヨハネの黙示録12章「女は荒れ野に逃れた・・」女とは何者か?

ヨハネの黙示録12章「女は荒れ野に逃れた・・」女とは何者か?

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コラム
ヨハネの黙示録は聖書の中でも、非常に難解であり、神学者や聖書研究家が、それぞれ独自の見解を述べている。そしてどの解釈が正解なのか、私にもわからないのである。なので、これから述べることは、こういう解釈もあるよという個人的見解である。
ヨハネの黙示録12章
この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。 また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。 その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。 女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。
この部分ですが、普通に考えれば、女=聖母マリアであり、子はイエスであると考えられると思います。しかし、それでは普通すぎます。あえて、ヨハネの黙示録に載せるべき文章であろうか?と私は考えます。
そこで、ここでいう女とは、「魂」であると考えます。そして生まれた子も、やはり「魂」であると考えます。え?意味わかりませんか?解説しましょう。
女=魂の擬人化、聖書では都市や概念が擬人化されたりしますので、魂を擬人化して女と表現していても不思議はない。そしてこの魂は、精錬された新しい魂を生み出そうとしている、今まで悪にまみれて生きてきた人間が、考えを改め、生き方を変えようとしている、生き方を変えた、新しい魂が、女の生んだ子というわけです。つまり女も、子も、私やあなた自身なのですよ。
イエスはこのように言ってます、「人は新たに生まれなければ決して天の国に入ることはできない」つまり、生まれ変わるって、こういうことですよね。
仏教の輪廻転生みたいのはありませんからね、今生きている間に生まれ変われなかった人間が、何度、輪廻転生で生まれ変わっても、同じこと繰り返すだけでしょうが。今、霊的に生まれ変われって話ですよ。
さて、女は荒れ野に逃れたと書いてありますが、この荒れ野とは、どこでしょうか?物理的な場所なのでしょうか?いいえ、ここで言う荒れ野とは、精神的な場所です。アストラル界とかではありませんよ。私はここでオカルト知識を披露しようとは思ってません、要するに生き方の問題ですよ。
要するに世間と調子を合わせずに、ストイックな生き方をする=荒れ野に逃れるということですね。そこで魂は精錬されていくということです。1260日の間ということで、約3年半くらいかけて、魂が精錬されて、覚醒するということなのでしょう。竜が女を追いかけるというのは、覚醒して生き方を変えた魂をまた、悪の道に引き戻そうとしているということです。
ルカの福音書に、このように書かれてありますよね。
ルカの福音書11章24節
汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。
生まれ変わるんだ!と決意して、生き方を変えようとしても、結局、精神に良好な栄養素が与えられずに、空っぽのままの魂だと、いずれ前よりも悪い状態になってしまうというのだから、救われないですよね。ダイエット失敗してリバウンドして前よりデブるのと似ています。
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