イエスを死に追いやったのは「一般大衆」

イエスを死に追いやったのは「一般大衆」

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コラム
イエスが裁判にかけられ、処刑される直前、ローマ総督ピラトは、ぎりぎりまでイエスをどうにか釈放する方向で考えていたのに、一般大衆に、殺せ殺せと押し切られて、彼らに責任転嫁する形で、イエスを彼らに引き渡してしまったという。このことから、普通の一般人が、一番怖いということがよくわかる。
ピラトは「この人に何の罪も見いだせない、いったい何の罪で彼を処刑できるというのか?!」と混乱して大衆に説明を求めたのだが、一般人はファリサイ派の祭司長、律法学者、長老会のメンバーなどに扇動されて、救い主を処刑台へと追いやったのだ。
イエスは病人を癒し、死人を生き返らせ、真理を教え、善悪を教え、この世の始まりから終わりまでをも教えてくれた、つまり良い事しかしてないのだ。
ただ一つの罪も犯していない者を、極刑へと追いやる。普通はこんなことは考えられない、だが、これをも含めて神の計画であったのだ。
イエスの死と復活によって、我々の罪が清められる。イエスは我々のために、罪もないのに死んでくれたのである。全人類の罪を被ったのである。
愛する者のために自分の命をも捨てることは、まさに究極の愛ではなかろうか。しかし、もし彼を神と認めないのであれば、過去2000年以上前に存在した、ただの人間、あるいは預言者の1人、単なる聖人、と思うのであれば、決して我々は救われない。彼は今も天界から我らの言動も心の中も見ているのだから。もし、心の中で、「神などいるものか・・」と言っていて、しかもそれを本気で信じていたならば、どのような恐ろしい結末が待っているのだろうか、それは本人にしかわからない。
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