イエスが姦通の罪を犯した女を許したのはなぜか

イエスが姦通の罪を犯した女を許したのはなぜか

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コラム
イエスの前に、ユダヤ教ファリサイ派の信徒らが、姦通罪の現行犯で捕らえられた女が引っ立てられてきた。ちなみにこの時代、浮気、不倫だけではなく、婚前性交渉も姦通罪となるため、今の時代の性に奔放な男女がこの時代に行くと、ほぼ死刑になっていると思われる。
さて、ファイリサイ派信徒らが、観衆が見守る中、イエスにこう問いただした。「この女は姦通罪の現行犯で我々がひっ捕らえて、ここに連れてきた、モーセの教えによれば、こういう女は石で打ち殺せと書いてあるが、どうすべきだと思うか?」さて、イエスはここで非常に難しい判断を迫られます。
なぜならモーセの教えでは確かに姦通罪は死刑と決まっているからで、もし、イエスが許してやれと言ったなら、モーセの教えを否定することになるし、逆に、モーセの教えのまま、石で打ち殺しなさいと言ったなら、正しいかもしれないけど、やはり無慈悲だな・・と思われてしまう。そこでイエスはかがみ込んで、地面に指で何かを書き始めた、何を書いてたかは聖書に書いてないのでわからない。ファリサイ派と観衆が、いったい何をしてるのかと、しばしそれに注目していた、イエスが何も言わないので、再度イエスに問い詰めると、イエスはこう言った「あなたがたの中で罪を犯したことがない者が石を投げよ」この言葉を聞いて、ファリサイ派も観衆も誰も何もできず、すごすごと帰っていった。人は誰でも多かれ少なかれ罪を犯すだろう、あなた方は自分の罪を棚にあげて人の罪だけ責め立てるのか、とこういうわけだ。だが、なぜイエスは、かがみ込んで地面で指に何か書いて押し黙っていたのか。普通に考えればうまい返しをするために時間稼ぎをしていた、と考えるだろう。しかし、私はこう考える。即答することもできたが、あえて、少し考えるふりをした・・・なぜなら、そのほうが人間らしいからだ。問われて、即、正しい反論が返ってきたら、それはまるでAIではなかろうか、それは人間らしくない。それにモーセの顔も立てなくてはならないのだから、即答したならモーセの教えが軽くなってしまう、モーセの教えは正しいし、軽んじられてはならない、だがしかし、神がこの場面に私を遭遇させたのは、決まり事を通すより、融通を聞かせることのほうが、より大事だということを教えるためであったのではなかろうか、このようにして神は慈悲を示したのである。

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