我々は知らず知らずのうちに神と戦う軍隊に参入させられてる

我々は知らず知らずのうちに神と戦う軍隊に参入させられてる

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コラム
ハルマゲドンという言葉は聞いたことがある人も多いだろう、この世の終わりに神と、それに立ち向かう悪魔の軍隊との戦いをハルマゲドンの戦いという。
そして一般人は、だいたいが悪魔軍に算入させられている、神の救いにあずかるどころか、神と戦おうとしているのだから哀れなものだ。
私がマイク・タイソンと殴り合いをして勝つ確率は1%くらいはあるかもしれない、だが、神と戦って勝つ確率は0だ。0.00000001%すらもない。つまり100%負ける戦いに人類は参戦させられることになるのだ。
悪魔はそれをわかったうえで、人間を生まれた時から悪魔側につくように誘導してくる、それは、漫画、アニメ、ゲームであったり、親兄弟や友人やマスコミや教師や歴史上の偉人や世間の人の影響であったり、さまざまだ。この世の全てが悪魔側に誘導してくると思ってもらっていい、この世に生まれるということは悪魔の思想に染まるということと考えてもらっていいかもしれない。
思えば、子供のころから、全てが神に敵対し、悪魔の側に寄り添うプログラムで構成されていた。たとえばアニメでいえば、人気作品「ガンダム」などは、ジオン軍というのが悪役として出るそうだが(私はガンダムを見てないので詳しくないが)ジオンは、おそらく「シオンの民」のことだろう、シオンの民とはユダヤ教では「純粋無垢で清浄な者」という意味であり、それが悪役になるというのだから神に敵対するようプログラムされているアニメに違いない。
そして「エヴァンゲリオン」という人気アニメも(で、私はこれも見てないので詳しくは知らないのだが)イエスの弟子である「使徒」や「天使(の名前を冠した化け物)」を悪役として描いているそうではないか、これは罰当たり以外の何物でもない、厳格なキリスト教徒であれば嫌悪感を示すものであろう。
そして私が子供のころやっていたテレビゲーム「ゼノギアス」や「スターオーシャン2」なども、敵に神や天使の名前が付いていたりする、これは子供心に何か違和感があった。本来であれば神や天使と戦おうとするという行為自体が憚られるものでなければならない、たとえそれがゲームの中の話であってもだ。このような些細なことであっても、徐々に自分の中の感覚がおかしくなっていくのである、悪魔はそれを狙っている。
いや、制作者にそういう深い意図はないんだよ、ただ物語を壮大に見せるために、神や天使の名前を使っているだけさ、という人もいるだろう、もちろん、そうかもしれない、でもそういう些細なことでさえも、ある種の違和感、不快感を感じないということであれば、ケーキの上にハナクソが乗っていても、こんなハナクソ1粒くらい付いてても気にするなよ食えよ、と言われているようなものであろう?ケーキの上についた1ミリのハナクソは気にするけど、神や天使が悪く描かれていることは気にならないのか?どうだろうか、知らず知らずのうちに心を悪魔に浸食されているのではないだろうか。
映画などでも、あえて悪役側を主人公サイドにする作品などが近年は普通に出てきている。「キャッチミーイフユーキャン」詐欺師が主人公の映画、「プリティウーマン」売春婦が主人公の映画、そんなものに感情移入して楽しんで見てどうする?!しかし、おそらく視聴者はこう言う、「いや別に感情移入して見てるわけじゃないんだよ、ただそっちサイドの人視点の世界はどう見えてんのかってのを客観的に見てみたいだけさ、だって正道ばかりじゃ飽きるだろ?」ってな感じに反論してくる。まあ、確かに。飽きると言えば飽きるのだ、脳は常に刺激を欲しているから、グランドセフトオートのようなギャングのチンピラが主人公のようなゲームでさえやりたくなってしまう。ただ、実は脳というものは主観と客観を区別できないようになっている。「そんな馬鹿な、ちゃんと区別してるよ、俺はグラセフを楽しんでプレイしているけど現実世界では礼儀正しいし暴力なんてもってのほかって思ってるよ」とか言うだろうけど、心の奥の無意識の領域には確実に影響を与える。それがいつか何かのきっかけで一気にブワっと意識の表面にまで広がることがある、酒が入ると性格が変わる人なども無意識の領域にある本性が表に出ているのだ。また、戦争状態や災害時や無政府状態のような平時ではなく特殊な社会状況となった時も本性が表れやすい、みんな略奪してるから自分も盗んじゃえ、とか、そういう風に流されて自分に罪を犯す許可を与えてしまう、無意識の領域に埋伏の毒が仕込まれているのだ。
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