イエスは「聖人」ではなく、「神」である

イエスは「聖人」ではなく、「神」である

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コラム
まず、イエスが「聖人」という認識の人は、その認識を改めてもらう必要がある。イエスは受肉したヤハウェであり、神そのものなのである。
もし、イエスを聖人という認識のままであるならば、遠い昔に正しいことを言って立派な行いをした人がいました、終わり。とこれで話が終わってしまうではないか、それでは何の意味もない。
だって、そうでしょ、過去に、正しいこと言って立派な行いをした、それが我々にいったい何の関係があるのだ?所詮は過去の話ではないか、今を生きる我々に関係ない話じゃないか、となりかねない。
イエスは神であり、神は今も存在し、天国も地獄も実際にあり、我々の行動はおろか心の中までも全てお見通しであり、必ず最後に裁きが行われて、然るべき罰が与えられる。
悪魔は、長い年月をかけて神から人を遠ざけるために、然るべき時代に然るべき人間を時空のグリッドに配置して、魂を地獄に導き、地獄の火で焼くことを楽しみにしているのだ、だからまず神の存在を隠すために天の上には宇宙空間という謎の空間があることにした。大地はボール状で、さらに弾丸のような速さで回転していることにもした。真理に基づいて不動の大地に固く立つことができてない者には、自分の立ち位置さえわからない、上も下もない、そういう謎空間に住まわされることで、まず神から離れ去る。
イメージの話をしているわけではない。実際にそうなっているのだ。
真実が幻想で、幻想が真実なのだ。お分かりだろうか?
ダーウィンもそうだ、彼は進化論という幻想を信じ込ませ、人は猿の子孫であるということにした、こうして人は所詮、獣の延長線上の生き物でしかないと認識させることに成功した。
アインシュタインもそうだ、相対性理論だの、量子力学だの、わけのわからない小難しい科学の理論を人に信じ込ませることで、善悪について考えることをやめさせ神から遠ざけることに成功した。
レオナルドダヴィンチもそうだ、彼は名画「最後の晩餐」に存在しないはずの女を描き、イエスが実は女を弟子にしたのだと思わせ、所詮はイエスも人間なのだよ、男なのだよと、神を愚弄するような絵を描いた。
彼らは、偉人だ、天才だ、ともてはやされているが、悪魔崇拝者に他ならないのだ、地上の人間たちは、みんなまんまと彼らに騙された。
だが、彼らはその時代の人間のみならず、後の時代の人間さえ数多くたぶらかした罪で、地獄へ行くことはまず間違いない。神の前では嘘は付けない。いくら地上でもてはやされても、真実な方の前では虚しい存在となり下がる。
どうか、惑わされないようにしてください。彼らが偉人だ、天才だと言われているから、あーそうなんだー、って思ってるだけの話、真実は権威や権力で歪められることは無い。
権力者が、権威者が、罪を犯しやすい土台作りをしたから、この終末の時代は腐りきった、わやくちゃな世界になってしまった。
罪が残ったまま死んだら、大変なことになる。本当に地獄の火で焼かれますよ。地獄は本当にあるんですよ。あなたがたは自分の指をライターで3秒あぶることさえできないでしょ?でも地獄行きになったら全身、火の中に入って焼かれ続けるんですよ?絶対耐えられないですよ。でも耐えるしかないんです。それだけのことをしたんですからね。でも、神は慈悲深いので、地上にいる間に悔い改めるなら、許してくれます。まだ間に合います。
いいですか、世界情勢や、政治経済に詳しくなっても、歴史、科学、宗教に詳しくなっても、何の意味もありません。罪と向きあってないから。
この世の終わりまで、あまり時間がありません。すぐ悔い改めましょう。
神に逆らうことほど恐ろしいことは無いですよ?じゃあ、なぜ悪魔崇拝者たちは神に逆らうのかって?それはバカだからです。最終的には彼らはバカなんです、だって地獄の火で焼かれ続けて苦しみ続けるのは自分らなんですから。


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