救われたきゃ、食い下がれ

救われたきゃ、食い下がれ

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コラム
イエスのもとに、ある女がやってきて、こう言った。
「私の娘が悪霊に取り付かれております、お救いください」
その女は異教徒であったため、イエスは最初このように言って、断った。
「食卓のパンを子犬にやるわけにはいかない」
つまり、これはどういう意味かと言うと、救われるべきものは、敬虔なユダヤ教徒だけであるべきだ、とこう言ったわけです。
そうすると女は、こう言って食い下がりました。
「主よ、しかし、子犬も、食卓からこぼれ落ちたパンくずは頂きます」
で、これはどういう意味かと言うと、異教徒であっても、今、現にイエスと対面し、話をしているという段階で、ある意味、その機会にあずかっているわけであり、イエスと対面し、話すという出来事が、起こりうる者は、救われるべきではないか、という持論なわけです。
そこでイエスはこう言います、「そこまで言うなら、よろしい、家に帰りなさい、娘の悪霊はもう出て行った」女は家に帰ると、娘は正気に戻っていた。

どうですか、ここでもし女がいじけて、「どうせ私は異教徒だから救われないのね!なにが救い主メシアよ!なんて心の狭い男!」なんて憎まれ口を叩いたなら、救われるものも救われなかったでしょう。
それに押し黙って、うつむきながら泣いても、それはそれで解決にもならないでしょう。なんとしても救われたいなら、食い下がらなきゃダメなんですよ。

救われたい側の人間が、「その情報のソースは?」「信憑性はどこにある?」
「エビデンスを示せよ」「頭がいいと思っているのか?」とか、ごちゃごちゃ言うのは、患者が医者に「俺の病気を治させてやるから家までこいや」とか言ってるようなもんです。

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