🕊️ 魂と人間の想い|魂と人間が人生を味わう話

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🕊️ 魂と人間の想い

魂と人間が人生を味わう話



こんにちは。おちゃのこです。

例えば、いつものお味噌汁を飲んでいて、ふと気づくことがあるかもしれません。

「あれ、今日はいつもより、だしの香りがするなあ」

昨日と同じように作った一杯なのに、なぜかおいしく感じる。

もちろん、忙しい朝には、そんなことを考える間もなく飲み終えてしまうこともあります。私たちの朝は、お味噌汁だけに付き合っていられるほど暇ではありませんから。(笑)

でも、同じ一杯から、昨日とは違う楽しさを感じることがある。

私は、この小さな違いの中に、人生の「可能性」を考えるヒントがあるように思うんです。

可能性には、広がりと奥行きがある


「可能性が広がる」と聞くと、できることが増える、行ける場所が増える、選べる道が増える。そんなことを想像しませんか。

例えば、いつもお味噌汁を作っている人が、新しくスープも作れるようになったとします。

作れる料理が一つ増えました。これは、わかりやすい可能性の広がりです。

でも、同じお味噌汁を作り続ける中でも、別の変化があるかもしれません。

最初はレシピの分量を守ることで精いっぱいだった人が、何度も作って味わううちに、具材の甘さや、その日のだしの具合を感じ取れるようになる。

そして、ある日、自分で考えて味を整えてみる。

「今日は、この野菜の甘さを生かしたいから、少し薄めにしよう」

同じお味噌汁です。けれど、作り方はもう、ただ決まった手順をなぞるだけではありません。

それまでできなかった、自分なりの味の生み出し方が加わった。

私は、これも可能性の拡大だと思っています。

一つは、できることや選択肢が増える、量的な拡大。

もう一つは、同じことの中に、それまでなかった新しい質や深さが生まれる、質的な深化。

可能性は、横に広がるだけでなく、奥にも深まるんです。

ただし、ここには少し違いがあります。

「今日のお味噌汁には、こんな香りがあったんだ」と気づくことは、既にあったものへの理解が深まること。

一方、その味わいをきっかけに、今までできなかった味の整え方が生まれるなら、可能性そのものにも新しい質が加わったと言えそうです。

気づくことと、新しく生み出すこと。似ているけれど、同じではありません。

味わうことは、分析することではない


ここまで読むと、「じゃあ、毎回の体験を丁寧に観察した方がいいのかな」と思うかもしれません。

でも、私が考える「味わう」は、必ずしもそういうことではないんです。

好きな音楽に夢中になって、気づいたら一曲終わっていた。

友達と笑い合って、何がおかしかったのか、後からうまく説明できない。

ただ楽しくて、時間を忘れていた。

そんな体験だって、十分に味わっているのではないでしょうか。

何を学んだか、何が変わったか。その場で確かめる必要はありません。

それでも、体験を重ねる中で、今まで知らなかった楽しみ方や、思いもしなかった可能性が生まれることがあります。

味わうことは、新しい可能性が生まれるきっかけになり得る。でも、可能性を生み出すために味わわなければならないわけではない。

私は、そこを大切にしたいんです。

では、魂は何をしているのでしょう


ここで「想いだす法則」の話に戻ります。

私は、人間と魂にはそれぞれの役割があり、その関係は互いの可能性を豊かにするものだと考えています。

人間は、自分の意思で選び、身体や感情を通して人生を体験する存在です。

そして、人間自身が、その体験を味わいます。

新しいことができるようになる。いつものことに、新しい楽しさが生まれる。人間の可能性は、そうして広がり、深まり得る。

では、魂はどうでしょう。

私は、魂も人間の体験を、魂なりの在り方で味わっていると考えています。

ただ、味わって終わりではありません。

魂は、その体験を味わうことを通して、今まで持っていなかった可能性を新しく生み出していく。

私は、魂の目的を、可能性の「発明=拡大」にあると捉えています。

ここでいう発明とは、既にある可能性を見つけることではありません。それまでなかった可能性が生まれることです。しかも、新しい種類が増えるだけでなく、もともとある可能性に、新しい質や深さが生まれることも含みます。

もちろん、魂が実際にどのように体験を味わい、可能性を生み出すのかは、わかっていません。これは科学的に証明された仕組みではなく、私自身の哲学的な考え方です。

人間も魂も、互いの可能性を豊かにする


では、人間が体験し、魂がその体験を味わうだけなのでしょうか。

私は、そうではないと思っています。

例えば、人間がお味噌汁を作って、これまでにない楽しみ方を知る。その人自身の世界が、少し豊かになる。

その体験を魂も魂なりに味わい、新たな可能性を発明する。

私は、魂が保持し、新たに発明した可能性は、人間にも開かれていると考えています。

それが具体的にどう人間の選択や体験に関わるのか、仕組みまではわかりません。でも、人間には、そこからまた新しいことを選び、体験する余地が生まれ得る。

そして、その体験を、人間も魂も、それぞれに味わう。

人間が体験をもたらし、魂が可能性を広げる。魂の可能性が人間を豊かにし、人間自身も体験を味わうことで可能性を広げる。

どちらか一方だけが得をする関係ではないんです。

私は、この往復を、魂と人間の「循環的な互助関係」と考えています。

もちろん、この循環も私自身の哲学的な仮説です。魂が人生の選択や結果を決めるという意味ではありません。

人生を選ぶのは、自由意志を持つ人間自身です。

私は、この自由な選択が、人生にさまざまな分岐を生み出すと考えています。魂が可能性を保持し、人間が自由に選ぶ。そこには、目の前の一つの人生を超える広がりもあるのではないかと思うんです。

そして、大事なことが一つあります。

人間は、魂のために体験を集める係ではありません。

魂を成長させるために、苦しい思いをする必要もありません。理不尽な出来事を「魂が望んだから起きた」と説明するつもりもありません。

現実には、自分で選べないこともあります。それでも、選べる範囲で、自分の人生を生きていい。

味わったからといって、必ず可能性が広がるわけでもない。それでも、体験そのものの価値が消えることはないと思うんです。

「既にある」と「新しく生まれる」は、矛盾しない


ところで、「想いだす法則」には、「すべては既にある」という考え方があります。

だったら、新しい可能性を発明するって、おかしくない?

そう思う方もいるでしょう。

でも私が言う「既にある」は、まだ作っていない料理が、すべて完成して並んでいるような話ではありません。

可能性を保持しながら、新たな可能性をも創造できる在り様(能力)が、既にある。

そういう意味です。

私は、可能性には終わりがないと考えています。

どれほど多くの可能性を保持していても、そこが終着点ではありません。そこから、さらに新しい可能性を生み出せる。

無限とは、あらゆるものが既に完成していることではなく、新しく生み出すことに終わりがないこと。

私は、そんなふうに捉えています。

既に大切にしていた想いや在り様に気づくことは、「想いだす」こと。

まだなかった可能性を生み出すことは、「発明=拡大」。

二つは違う働きですが、どちらも人生の体験と関わっていると、私は考えています。

憧れは、まだない体験を、今から味わえる


そして、味わうことの中でも、私が特に魅力を感じるのが「憧れ」です。

例えば、いつか小さな庭のある暮らしをしてみたいと思う。

花の咲く季節。朝の光。お気に入りの椅子。大切な人と過ごす静かな時間。

まだ庭はありません。けれど、想像している間に、もう心は少し弾んでいる。

それは、単に「庭が欲しい」と願っているだけではないのかもしれません。

喜びや自由、安らぎや愛情など、いくつもの在り様を、一つの憧れの中で同時に味わっているとも考えられます。

だから私は、憧れを、味わうことの中でも特に力強いショートカットのように感じています。

もしかすると、魂にとっても、憧れはとりわけ魅力的な体験なのかもしれません。

これは、まだ私の仮説です。憧れれば必ず実現する、という意味でもありません。

一杯のお味噌汁から


さて、最初のお味噌汁に戻りましょう。

今日もいつもと同じ味だった。それでも、おいしかった。

昨日は気づかなかった香りを楽しめた。そこから、自分なりの味を作ってみたくなった。

あるいは、何も考えずに飲み終えた。

どれでもいいと思うんです。

人生も、いつも新しいことを始めなくていい。今ある楽しみの奥行きが、少しずつ変わっていく日もあるでしょう。

そして、そんな人間の体験を魂も味わい、双方の可能性が豊かになっていくのだとしたら。

人生とは、可能性を使って生きる場所であると同時に、新しい可能性が生まれ得る場所なのかもしれません。

まずは、今日の一杯をおいしく飲む。

それだけでも、十分に人生の一場面です。

ここまでは、私たちが日々味わう人生と、魂の可能性について考えてきました。

でも、もし魂が味わっているのが、この一つの人生だけではないとしたら。

そして、私たちが自由に人生を選ぶことには、今ここで見えている以上の意味があるのだとしたら。

そんな仮説から、話はもう少し遠くまで広がっていきます。



お味噌汁から始まった話の続きを、瑠美との対話で、もう少し。




いくつもの人生、その先にあるもの


(以下は「想いだす法則」の人生観をもとにした創作対話です。)


瑠美は、読み終えた原稿をテーブルに置きました。

瑠美:お味噌汁から始まって、魂の話にまでなるなんてね。

おちゃのこ:朝ごはんの話だったはずなのにね。(笑)

瑠美:でも、「人間は魂のために体験を集める係じゃない」ってところ、好きだった。私、何もしない休日も好きだから。

おちゃのこ:休日にまで成果を提出する必要はないよ。

瑠美:よかった。魂から「本日の体験が不足しています」なんて通知が来たら困るもの。(笑)

二人で笑ったあと、瑠美がふと真顔になりました。

瑠美:ねえ。ひとつ聞いてもいい? その魂って、今ここにいる私だけの魂なの?

おちゃのこ:実は、そこから先にも考えていることがあるんだ。

瑠美:また?(笑)

おちゃのこ:私はね、過去世の自分も、現世の自分も、未来世の自分も、同じ魂につながっていると考えているんだ。

瑠美:昔の私がいて、今の私がいて、そのあと未来世の私が生まれる。そういう順番?

おちゃのこ:いや、それだけじゃない。過去世にも現世にも未来世にも、あらゆるバリエーションの人生がある。そして、それらの人生がパラレルワールドとして同時に存在している。私は、そんな仮説を考えているんだよ。

瑠美:一つずつじゃなくて、いくつもの人生が、同時に?

おちゃのこ:そう。

瑠美:でも、どうして、そんなにたくさんの人生が生まれるの?

おちゃのこ:人間には、自由意志があるからだよ。

瑠美:自由に選べることと、世界が生まれることって、関係があるの?

おちゃのこ:あると考えているんだ。人間が自分の意思で選ぶ。その自由な選択が人生を分岐させ、パラレルワールドを発生させる。過去世でも、現世でも、未来世でも、それぞれの人間には自由意志がある。

瑠美:じゃあ、どこかで決められた筋書きを演じているわけじゃないのね。

おちゃのこ:うん。それぞれが自分で選び、自分の人生を味わう。そして、どの人生も、共通する一つの魂につながっているんだ。

瑠美はカップを置き、しばらく黙っていました。

瑠美:でも、ちょっと待って。「あらゆるバリエーション」が既にあるなら、もう新しい可能性なんて生まれないんじゃないの?

おちゃのこ:そこでいう「あらゆる」は、魂が保持している可能性に応じたバリエーションなんだ。可能性は、そこで完成してしまうわけじゃない。魂が新たな可能性を発明すれば、それに応じて人生のバリエーションも、さらに広がっていく。

瑠美:なるほど。自由意志が人生を分岐させて、魂の可能性が広がると、生まれ得る人生の幅も広がるのね。

おちゃのこ:そう。人間が選ぶ自由と、魂が新しい可能性を発明すること。その両方が関わっているんだ。

瑠美:ああ……。無限って、出来上がったものが全部そろっていることじゃないのね。どこまでも新しく生み出せる、ということなんだ。

おちゃのこ:うん。種類が増えるだけでなく、可能性そのものに新しい質や深さが生まれることもあると考えているよ。

瑠美:だったら、別の世界の私が味わった体験から魂が新しい可能性を発明したら、今の私にも関係するの?

おちゃのこ:もちろん。同じ魂なのだから。 現世の人間と魂の関係は、過去世でも未来世でも同じなんだ。魂が発明した可能性は、その魂につながるすべての人生に関わる。

瑠美:じゃあ、どの世界の私も、同じ魂の可能性を通してつながっているのね。

おちゃのこ:魂を介して、つながっている。ただし、みんなが同じ人生を生きたり、同じ結果を迎えたりするわけではないよ。

瑠美:それぞれに、自分の人生があるものね。

おちゃのこ:そう。誰かのために人生を演じる必要もない。それぞれが、自分の人生を生き、味わっているんだ。

瑠美:……すごいわね。一つの魂だけでも、そんなにたくさんの人生とつながっているなんて。

おちゃのこ:そうだね。

瑠美:でも、魂は一つしかないわけじゃないでしょう?

おちゃのこ:うん。魂そのものも、一つではないと考えているんだ。

瑠美:それぞれの魂が、また無数の人生を味わい、新しい可能性を発明していく……。じゃあ、その魂たちは、ずっと別々のままなの?

私は、すぐには答えませんでした。

窓の外では、行き交う人たちが、それぞれの行き先へ歩いていました。

おちゃのこ:私はね、魂にも、還る場所があると考えているんだ。

瑠美:還る場所?

おちゃのこ:それぞれの魂は、オーバーソウルへ帰還する。

瑠美:……オーバーソウル。

おちゃのこ:個々の魂を超えた、大きな一体性を表す考え方があるでしょう。私は、そこに複数の魂が帰還するという在り様を重ねて考えているんだ。

瑠美:でも、過去世も現世も未来世も、同時に存在しているんでしょう? 魂は、いつ帰還するの?

おちゃのこ:そこは、まだ考えているところなんだ。魂にとっての「帰還」は、私たちが思うような時間の順番とは違うのかもしれない。

瑠美:じゃあ、全部の人生が終わって、何もかも消えてしまう、という意味とは限らないのね。

おちゃのこ:うん。私は、そう決めつけていないよ。

瑠美:……お味噌汁の話が、まさかそこまで行くなんてね。(笑)

おちゃのこ:あの一杯も、立派な旅の入口だったね。

瑠美は笑って、空になったカップに目を落としました。

瑠美:でもね。こんなにたくさんの人生があるとしても、今ここにいる私の人生が、どうでもよくなるわけじゃないのよね。

おちゃのこ:もちろん。

瑠美:私は、私の人生を味わう。そして、ほかの世界の私たちも、それぞれの人生を味わっている。

おちゃのこ:そうだね。

瑠美:それがみんな、同じ魂につながっている。……だったら、まだ知らない可能性があるって、楽しみになってくるわ。



瑠美も、私も、今はここにいる。

その何気ない時間の向こうに、どれほどの人生が広がっているのか。

私には、まだ想像もつきません。




真珠色の幻想世界と魂の物語.png





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