【短編恋愛小説】
水鏡
毎月17日の夜、恋人が隠していたこと
信じたいのに、疑ってしまう。
二年間付き合ってきた恋人が、知らない女性と川辺に立っていた。しかも、毎月17日の夜になると、彼とは連絡が取りづらくなる。
言葉にできない不安を抱えた響子は、水を使った不思議な鑑定を受ける。そこで示されたのは、三本の白い花と、二つの異なる思いだった。
過去の記憶と今の愛情が交差する、少しミステリアスな短編恋愛小説です。
※この物語はフィクションです。
水鏡
「この女性が誰なのか、知りたいんです」
響子は、スマートフォンを差し出した。
画面には、川沿いの遊歩道に立つ男女が写っていた。
男性は恋人の和彦。隣には、薄手の青いストールを巻いた女性がいる。
二人は少し離れて立ち、川の方を見ていた。
街灯の光が水面に伸び、細かく揺れている。
「九月十七日の夜です。仕事の帰りに、いつもの道で見かけました」
響子は三十四歳。和彦は三十七歳。建築関係の会社に勤めている。
付き合い始めて二年になる。
和彦は口数が少ないものの、約束を守る男性だという。響子が体調を崩せば、仕事帰りに食べ物を届けてくれる。休日の予定も、普段は二人で相談して決めている。
響子は、いつか結婚することも考えているという。
「声をかけようと思ったんです。でも、知らない女性と一緒にいるところを見たら、怖くなって」
響子は画面を見つめた。
「思わず写真を撮ってしまいました」
「和彦さんには尋ねましたか」
「はい。昔からの知り合いだって。それ以上は聞かないでほしいと言われました」
彼女はスマートフォンを伏せた。
「それだけじゃないんです」
七月と八月にも、十七日の夜は和彦となかなか連絡が取れなかったという。
仕事が忙しいと説明されたが、普段なら短い返事くらいはくれる。
最近は考え込むことも増えているという。
何を考えているのか尋ねても、仕事のことだとしか言わない。
「私、彼を疑いたくないんです」
響子は膝の上で手を握った。
「でも、もし別の女性を好きになっているなら、ちゃんと知りたいんです」
私は机の上のガラスの器へ目を向けた。
「では、和彦さんの気持ちを読み取ってみましょう」
響子
器には、澄んだ水が張られていた。
私はそれを静かに引き寄せた。
小さな波紋が生まれ、ガラスの縁へ広がっていく。
折り返した波が互いに重なり、やがて消えた。
水面が静まると、窓から差し込む光が映った。
私は器の縁に指先を添えた。
冷たいガラスの感触が伝わってくる。
水を介して波動に意識を合わせる。
この感覚の原点は、子どもの頃にある。
夏の川で小さな魚を見つめていたとき、流れに逆らって泳ぐ魚の感覚が、ふいに自分の内側へ伝わってきたことがあった。
冷たい水が足首を包み、川底の小石の上を光が揺れていた。
魚の動きを目で追っているのとは違う。
水を隔てた小さな命と、自分の感覚が一瞬だけ重なったようだった。
成長するにつれ、私はその感覚を意識的に使えるようになった。
今では、水を媒体として他者の波動に共鳴し、言葉になっていない思考や感情を読み解いている。
私はゆっくり呼吸を整えた。
窓を打つ雨音が、少しずつ意識の外へ遠ざかっていく。
響子から聞いた和彦の姿を思い浮かべ、その波動へ意識を合わせた。
しばらくして、何かが伝わってきた。
懐かしさだった。
温かな記憶に触れているようなのに、その奥には胸を締めつける感覚がある。
私は急いで意味を決めつけず、さらに意識を深めた。
すると、一つの光景が浮かんだ。
三本の白い花。
透明な花瓶に生けられ、柔らかな光を受けていた。
澄んだ水の中に、細い茎が伸びている。
花に意識を留めると、深い悲しみが伝わってきた。
しかし、その悲しみには、不思議なほど穏やかな温かさがあった。
大切なものを、忘れずにいたい。
そんな思いだった。
私は意識を移した。
すると、別の感情が伝わってきた。
今、大切にしている人がいる。
その人を失いたくない。
けれど、伝えられずにいることがある。
何かを話そうとすると、心が立ち止まってしまう。
私は二つの感情を慎重に確かめた。
互いに異なる思いだった。
しかし、どちらも和彦の心から伝わっていた。
私は写真の女性との関係を探ろうとした。
だが、二人が恋愛関係にあると判断できる、明確な感覚は得られなかった。
意識の奥には、なお白い花の光景が残っていた。
私はそれ以上追わず、ゆっくり意識を戻した。
目を開くと、水面には最初と同じ窓の光が映っていた。
「何か分かりましたか」
響子が尋ねた。
「三本の白い花が見えました。透明な花瓶に生けられていました」
「花?」
「はい。それと、懐かしさと悲しみを感じました」
「その女性への気持ちでしょうか」
「誰に向けられたものなのか、今は分かりません」
響子の表情が曇った。
「ただ、それとは別に、今、大切にしている人を失いたくないという思いも伝わってきました」
「それは私のことですか」
「可能性はあります。でも、断定はできません」
響子は長く息を吐いた。
「結局、あの女性が誰なのかは分からないんですね」
「はい」
私は彼女のスマートフォンへ目を向けた。
「写真には、二人がそこにいたことは写っています。でも、何のために会っていたのかまでは分かりません」
響子は再び画面を開いた。
青いストールの女性。
その隣に立つ和彦。
そして、二人の視線の先を流れる川。
しばらく写真を見つめたあと、響子は小さくうなずいた。
「もう一度、彼に聞いてみます」
十月の初め、響子は和彦から食事に誘われた。
以前から二人で行こうと話していた、小さなイタリア料理店だった。
和彦はいつもと変わらなかった。
仕事の話をし、来月はどこかへ出かけようかとも言った。
その帰り道だった。
和彦が花屋の前で足を止めた。
店先に並ぶ花を、しばらく眺めている。
「どうしたの?」
響子が尋ねると、和彦はすぐに歩き出した。
「いや、何でもない」
「花、好きだった?」
「別に。ちょっと目に入っただけだよ」
響子は水鏡の鑑定を思い出した。
あの女性への贈り物なのだろうか。
そう考えかけて、思い直した。
まだ何も確かめていない。
それでも、十月十七日が近づくにつれ、不安は強くなっていった。
十六日の夜。
響子は、もう一度あの写真を開いた。
青いストールの女性。
少し離れて立つ和彦。
二人は同じ川を見ている。
恋人同士でも、そんなふうに並んで景色を眺めることはあるだろう。
だから、それだけでは何も分からない。
けれど、響子には一つ気になることがあった。
七月も八月も、連絡が取りづらかったのは十七日だった。
九月十七日には、和彦はこの川にいた。
もし、あの女性と会う約束ではなく、十七日という日付や、この場所そのものに意味があるとしたら。
水鏡で読み取られた懐かしさと悲しみが、頭をよぎった。
そして、花瓶に生けられた三本の白い花。
誰かに手渡される光景ではなかった。
もちろん、それだけで何かが分かるわけではない。
贈られた花を、受け取った人が花瓶に生けることだってある。
それでも、贈り物以外の可能性を考えるきっかけにはなった。
和彦が花を買うのには、別の理由があるのかもしれない。
響子はスマートフォンを伏せた。
翌日、何を尋ねるべきか考えていた。
十月十七日。
仕事を終えた響子は、和彦に電話をかけた。
「今日、少し会えない?」
「今日は帰りが遅くなると思う」
「今日も十七日だから?」
和彦は黙った。
「何か事情があるなら、ちゃんと話してほしいの。私、もう疑い続けるのは嫌だから」
長い沈黙のあと、和彦が答えた。
「分かった。今日、話そう」
待ち合わせは、川沿いの公園だった。
午後八時を過ぎていた。
夕方の雨はやみ、濡れた遊歩道に街灯の光が伸びている。
和彦は川の近くに立っていた。
その手にあるものを見て、響子は足を止めた。
白い花。
三本だった。
「響子?」
和彦が近づいてきた。
「どうしたの?」
「その花……誰かに渡すの?」
「いや。家に持って帰るつもりだよ」
白いトルコギキョウだった。
水鏡に現れた花と、色も本数も同じだった。
「家に帰って、飾るの?」
「うん。花瓶に生けるつもりだよ」
胸の奥が、かすかに震えた。
花瓶に生けるという点まで、水鏡の光景と重なった。
けれど、それ以上に気になったのは、和彦がその花を誰かに渡そうとしていないことだった。
「どうして、その花を買ったの?」
「昔、付き合っていた人が好きだったんだ」
響子は息を呑んだ。
「その人のために買ったの?」
和彦はすぐには答えなかった。
「今でも、ときどき買うんだ」
響子は手元の花を見つめた。
昔、大切だった誰かを思い出すために買っているのだろうか。
そうだとしたら、水鏡で感じられた懐かしさと悲しみにも、説明がつくかもしれない。
響子は顔を上げた。
「和彦。七月と八月の十七日も、この川へ来ていたの?」
和彦が驚いたように彼女を見た。
「……どうしてそう思うの?」
「九月に見かけたときも、ここにいたでしょう。それに、いつも十七日だけ連絡が取りづらかったから」
響子は続けた。
「この場所に、何か理由があるんじゃないかと思って」
和彦はしばらく黙っていた。
そして、小さくうなずいた。
「七月も八月も、ここへ来ていたよ」
響子は、ようやく一つの疑問が解けた気がした。
しかし、なぜ川へ来ていたのかは、まだ分からない。
「昔付き合っていた人と、この川に何か関係があるの?」
和彦は手元の花を見つめた。
「由美という人なんだ」
「その人とは、今も会っているの?」
和彦は川の方を向いた。
「もう会えないんだ」
「どういうこと?」
「四年前に亡くなった。交通事故で」
響子は言葉を失った。
川を渡る風が、花びらを小さく揺らした。
「六月十七日だった」
十七日。
その日付が、初めて違う意味を持った。
和彦は、公園の端にある古い石段へ歩いた。
響子も、そのあとに続いた。
「由美とは、よくここへ来たんだ」
和彦は川を見つめた。
「三年くらい付き合っていた。事故に遭ったときも、まだ恋人同士だった」
事故の日、二人には会う約束があった。
しかし和彦の仕事が終わらず、別の日にしてもらったという。
「その夜、事故の連絡が来た」
和彦は言葉を切った。
「僕が予定どおり会えていたら、何か違っていたんじゃないかって、何度も考えた」
「和彦のせいじゃないでしょう」
「頭では分かっているんだ」
対岸の明かりが、川に細く映っていた。
「亡くなってから一年くらいは、毎月十七日にここへ来ていた。そのあとは、六月の命日だけになっていたんだけど」
「今年は、どうして七月も八月も?」
「六月に、由美のお母さんから久しぶりに電話があったんだ」
命日が近づき、和彦がどうしているか気になったのだという。
その電話で、和彦は由美の母親と思い出を長い時間語り合った。
「そのあと、また昔のことを考えるようになってね。七月も八月も、仕事の帰りにここへ来ていた」
「仕事が忙しいって言っていたのは?」
「それも本当だよ。でも、仕事が終わったあと、一人でここにいたかった。連絡もしなかった」
「それなら、そう話してくれればよかったのに」
「そうだね」
和彦はうなずいた。
「君と付き合い始めた頃、由美のことを話そうと思ったことはあった。でも、事故のことを思い出すのが怖くて。話さないまま時間がたつほど、言い出せなくなった」
響子はしばらく黙っていた。
それから、まだ残っていた疑問を口にした。
「九月の女性は?」
「由美の妹さんだよ。千春さんという人なんだ」
「妹さん?」
「六月に由美のお母さんと話してから、千春さんとも久しぶりに連絡を取るようになったんだ」
千春は九月、実家へ帰る予定があった。
和彦が十七日に川へ行くと聞き、姉のことを話したいと言って、その日に時間を合わせたという。
「由美は家で自分のことをあまり話さなかったらしいんだ。だから、僕といた頃の姉がどんな人だったのか、知りたかったみたいで」
「それで、二人で川を見ていたの?」
「うん。最初は昔の話をして笑っていたんだけど、途中で千春さんが黙ってしまって。姉のことを思い出していたのかもしれない」
響子は九月の写真を思い浮かべた。
二人が見ていたのは、同じ川だった。
けれど、そこにどんな思いがあったのか、自分は知らなかった。
「どうして、昔からの知り合いとしか言わなかったの?」
「千春さんのことを説明するには、由美のことも話さなきゃいけなかった。急に聞かれて、言葉が出なかったんだ」
「私は、別の好きな人ができたんだと思っていた」
「ごめん」
「十七日が来るのが怖かった」
和彦は響子を見た。
「君を傷つけたくなくて黙っていたつもりだった。でも、本当は、自分が話したくなかっただけなんだと思う」
響子は答えなかった。
「君がどれだけ不安だったか、考えられていなかった。本当にごめん」
しばらくして、和彦が口を開いた。
「由美のことは、今でも大切なんだ」
響子は、静かにうなずいた。
「でも、今、一緒に生きていきたいと思っているのは響子なんだ」
その言葉を聞いて、響子は水鏡の鑑定を思い出した。
懐かしさと悲しみ。
そして、今、大切にしている人を失いたくないという思い。
あのときは、それぞれが誰に向けられた感情なのか分からなかった。
今は、ようやくつながった気がした。
「私、まだ複雑な気持ち」
響子は言った。
「うん」
「すぐに全部分かってあげられるとは思わない」
「分かってる」
二人はしばらく黙っていた。
響子は、和彦の手元の花を見た。
「由美さんが好きだったのね」
「うん」
少しためらってから、響子は尋ねた。
「由美さんって、どんな人だったの?」
和彦が驚いたように彼女を見た。
「聞きたいの?」
「少しだけ」
和彦は懐かしそうに笑った。
「方向音痴だったんだ。旅行すると、よく反対方向へ歩いていってね。僕が間違っているって言っても、こっちの方が楽しそうだからって」
響子も少し笑った。
知らなかった時間は、簡単には埋まらない。
今夜聞いたことを、すべて受け止められるわけでもなかった。
それでも、自分が何に傷つき、和彦が何を抱えていたのかを、ようやく言葉にできた。
帰り道、二人は並んで歩いた。
しばらくして、響子はそっと和彦の腕に触れた。
和彦は何も言わず、歩く速さを合わせた。
三日後、響子からメッセージが届いた。
『和彦と話せました。写真の女性は千春さんという方で、四年前に亡くなった、和彦が当時付き合っていた由美さんの妹だったそうです』
続けて、もう一通。
『まだ複雑な気持ちはあります。でも、思い込みだけで彼を責めなくてよかったと思っています』
そして最後に、こう書かれていた。
『和彦が白いトルコギキョウを三本持っていたんです。鑑定で見えた花と、色も本数も同じでした。驚きました』
私は机の上のガラスの器に目を向けた。
水面には夕暮れの窓が映っていた。
『お話しできてよかったですね。これからも、ご自身の気持ちを大切になさってください』
そう返信して、スマートフォンを置いた。
私は器の水を新しくした。
小さな波紋が広がり、窓の像が崩れる。
揺れが収まると、同じ窓が再び映った。
完
あとがき|この物語の背景
『水鏡』は、私が提供している恋愛相談サービス「水鏡|波動共鳴でお相手の気持ちを読み解きます」から着想を得て書いた短編恋愛小説です。登場人物、相談内容、鑑定で浮かんだ光景、その後の出来事は創作であり、実際の相談事例や鑑定結果ではありません。
恋人の気持ちが分からない。言葉と態度が違うように感じる。これからの関係をどう考えればよいのか迷う。そんな悩みに向き合うとき、一つの見方だけで結論を急がないことを、この物語では大切にしました。
実際のサービスでは、水を張った器を使って意識を静め、独自の波動共鳴という方法で感じ取った思考や感情、イメージを、できるだけ分かりやすい言葉にしてお伝えしています。お相手やご自身の気持ち、二人の関係性、これからの向き合い方を考えるための材料としてご利用いただくサービスです。お相手の気持ちや将来を断定するものではありません。
「相手の気持ちが分からず、一人で考え込んでしまう」という方は、サービスの詳しい内容をご覧ください。
▼ 水鏡|波動共鳴でお相手の気持ちを読み解きます
お読みいただきありがとうございました。