生きることに、決められた目的はない——人生の意味は自分自身で決めていい

生きることに、決められた目的はない——人生の意味は自分自身で決めていい

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コラム
私たちは人生の中で、時折こんな疑問を抱くことがあります。
人は何のために生きているのだろうか。自分の人生には、どのような意味があるのだろうか。そして、何か大きな目的を持たなければ、人生には価値がないのだろうか。
こうした問いに対して、私は一つの考え方を持っています。
それは、人生には最初から決められた目的など存在しないのではないか、ということです。
もちろん、人が生まれてくることには、生物としての仕組みがあります。社会の中で生きていけば、仕事や家庭、人間関係など、さまざまな役割も生まれていくでしょう。
しかし、だからといって、誰もが同じ目的に向かって生きなければならないという決まりがあるわけではありません。
成功しなければならない。家庭を持たなければならない。社会的な地位を築かなければならない。誰かの役に立たなければならない。
そうした価値観は、時代や社会、育ってきた環境によって形づくられてきたものです。
それらを大切にする生き方もあれば、まったく違うことに人生の喜びを見いだす生き方もあるでしょう。
そもそも、人生の目的とは、誰かが与えてくれるものなのでしょうか。
私は、そうではないと思っています。
自分が何を大切にしたいのか。どのような時間を過ごしたいのか。何をしているときに幸せを感じるのか。
そうしたことを日々の生活の中で考えながら、自分自身で少しずつ決めていくものなのではないでしょうか。
けれど、現代社会では、その当たり前のようなことが難しくなっているようにも感じます。
私たちは常に、誰かの人生を目にしています。
SNSを開けば、仕事で成功している人がいます。経済的に豊かな生活を送っている人もいれば、幸せそうな家庭を築いている人もいます。若くして大きな成果を出している人もいるでしょう。
そうした姿を見ていると、自分の人生と比較してしまうことがあります。
あの人はあんなに成功しているのに、自分は何をしているのだろう。自分はもうこの年齢なのに、何も成し遂げられていないのではないか。
しかし、ここで一度考えてみたいことがあります。
そもそも、私たちは何を基準に人生を比較しているのでしょうか。
人は、生まれた時代も場所も違います。育ってきた家庭環境も違えば、経験してきた出来事も異なります。得意なことも、苦手なことも、大切にしたいものも、それぞれ違っているのです。
それほど異なる人生を歩んでいる人たちを、同じ物差しで測ることに、どれほどの意味があるのでしょうか。
例えば、年収が高い人と低い人がいたとします。
数字だけを見れば、どちらの収入が多いのかは簡単に分かります。しかし、それによって、どちらの人生が幸せなのかまで判断できるわけではありません。
たくさんのお金を持っていても、自由な時間がほとんどない人もいるでしょう。反対に、収入はそれほど多くなくても、自分の好きなことを楽しみながら穏やかに暮らしている人もいるかもしれません。
どちらが正しいという話ではないのです。
お金を得ることに喜びを感じる人もいれば、家族との時間を何よりも大切にする人もいます。仕事に生きがいを感じる人もいれば、特別な目標を持たず、日々の暮らしを楽しむことに幸せを感じる人もいるでしょう。
人生の目的が違うのであれば、そこに優劣をつけること自体が難しいのです。
それでも、私たちは他人と比較してしまいます。
なぜなら、人間は社会の中で生きているからです。誰かを見て羨ましいと思うこともあれば、自分の立場を確かめたくなることもあります。
そうした感情を完全になくすことは、おそらく簡単ではありません。
ただ、他人と比較することと、他人の人生を自分の正解にしてしまうことは、別の問題なのだと思います。
誰かの成功から学ぶことはできます。誰かの生き方に刺激を受け、新しい目標を見つけることもあるでしょう。
しかし、その人と同じ人生を歩まなければ幸せになれないわけではありません。
大切なのは、他人の人生を参考にしながらも、最後には自分自身の意思で選択することなのではないでしょうか。
そして、もう一つ考えたいことがあります。
それは、人生の目的というものは、必ずしも一生同じである必要はないということです。
若い頃には、成功することやお金を稼ぐことを目標にしていた人が、年齢を重ねるにつれて、健康や穏やかな生活を大切にするようになることがあります。
以前は何よりも重要だと思っていたことが、ある日を境に、それほど大切ではなくなることもあるでしょう。
反対に、今まで興味のなかったことに、新しい生きがいを見つける場合もあります。
人の価値観は、経験とともに変化していくものです。
だからこそ、一度決めた目標を、いつまでも守り続けなければならないわけではないのだと思います。
途中で考え方が変わってもよいのです。
何かを諦めて、別の道へ進んでもよいでしょう。これまで積み重ねてきたものを見直し、新しい生活を始めることも、一つの選択です。
そして、今は何を目指せばよいのか分からないという人がいても、それは決しておかしなことではありません。
人生の目的が見つからないからといって、その人の人生に価値がないわけではないのです。
ここで、少し視点を変えてみたいと思います。
私たちは、何か大きなことを成し遂げなければ、生きている意味がないと思い込んでしまうことがあります。
しかし、人生の意味とは、それほど特別なものでなければならないのでしょうか。
今日の食事がおいしかったこと。久しぶりに誰かと笑い合えたこと。好きな音楽を聴いて心が落ち着いたこと。天気の良い日に、少し散歩をしてみたこと。
そうした何気ない時間の中に、幸せを感じることもあるはずです。
そして、その小さな幸せを大切にすることが、自分自身の人生の目的になってもよいのではないでしょうか。
人から見れば、何でもない一日かもしれません。
けれど、その時間を生きている本人にとっては、かけがえのない一日になることもあるのです。
人生というものは、誰かに評価してもらうためだけに存在しているわけではありません。
社会的な成功や経済的な豊かさは、一つの価値ではあります。しかし、それだけが人生のすべてではないはずです。
もちろん、生活していくためには現実的な問題もあります。お金が必要なこともあれば、仕事や家庭で責任を果たさなければならない場面もあるでしょう。
自分の好きなように生きることが、いつでも簡単にできるわけではありません。
それでも、限られた環境の中で、何を大切にするのかを考えることはできます。
自分にとって必要なものは何なのか。
何を得られたら納得できるのか。
そして、どのような毎日を送ることができれば、自分は幸せだと感じられるのか。
その答えは、人によって違っていて当然なのです。
私は、生きるということに、最初から決められた正解はないのだと思っています。
だからこそ、人生には自由があり、同時に難しさもあるのでしょう。
誰かが用意した正解に従っていれば、必ず幸せになれるという保証はありません。自分で選んだ道であっても、失敗することはあります。
しかし、その経験を通して、自分にとって本当に大切なものが見えてくることもあるのです。
遠回りをした人生が、間違った人生というわけではありません。
何かを成し遂げられなかったからといって、それまでの時間が無意味になるわけでもありません。
そして、誰かより遅れていると感じたとしても、そもそも目指している場所が違うのであれば、そこに決められた順位など存在しないのです。
他人の人生には、他人の目的があります。
自分の人生には、自分の目的があってよいのです。
今、はっきりとした目標がなくても構いません。明日やってみたいことが一つあれば、それを大切にしてみる。何も思いつかなければ、今ある生活を少しでも穏やかに過ごすことから始めてもよいでしょう。
人生の意味を、急いで見つける必要はないのかもしれません。
生きていく中で、何かを好きになり、誰かと出会い、失敗を経験し、ときには立ち止まりながら、自分なりの意味が少しずつ生まれていく。
それが人生というものなのではないでしょうか。
他人と比較して、自分に足りないものを探し続けるよりも、今の自分が何を大切にしたいのかを考えてみる。
誰かの成功を追いかけるだけではなく、自分自身が納得できる生き方を探してみる。
人生は、他人と競争するために与えられた時間ではないはずです。
生きることに、誰もが従わなければならない目的などありません。
だからこそ、その目的を自分自身で決めてよいのです。
そして、何かを成し遂げた日も、何もできなかった日も、同じように自分の人生の一部として受け止めていく。
誰かにとって立派な人生である必要はありません。
自分自身が振り返ったときに、これが自分の人生だったと、静かに納得できること。
それこそが、生きるということの一つの答えなのかもしれません。
良天星
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