知らなきゃ損、やらなきゃ損!?「感情のラベリング」について。
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多くの人は、自分の感情についてうまく言葉に表すことができないのだと思います。
なんでもかんでも理論的に説明できてしまうのもそれはそれで「やりすぎ」なのですが、自分の心の様子を人に伝えられないのは、困る事柄も出てくるようになります。
「感情のラベリング」というものが心理学の用語にあります。
「自分自身が今感じているもの」を言語化することを指すものですが、感情のラベリングを行うことで感情を鎮めることができ、ストレスの軽減にもつなげられるようです。
海外のとある大学のチームによる実験の結果、不安を感じる対象を避けることよりも"感じた不安などを素直に言語化するほうが"、ストレス軽減の効果があったことが明らかになったそうです。
アンガ—マネジメントに"6秒間ルール"というものがありますが、あれは「6秒数える間に感情の処理を行う」というものであり、その際にラベリング(言語化)を試みるためのものでもあります。
感情を具体的に言語化することにより、脳の「偏桃体」の活性化を抑えることもでき、言葉にすることで自分の内面を客観視できるようにもなるので、そこから自己分析や掘り下げといった方面に持って行くことも可能になります。
自分の感情をまず、抱きしめる。こういうときに自分はこう感じているんだということを、否定しないで認め、受け入れる。
過去にそれらが否定されてきた場合であっても、自分自身だけはそれを感じ取ってあげなくてはなりません。そういうものをキャッチしてあげられるのは、その本人自身しかいないからです。
抱きしめ「こうだったんだね」と理解してあげてから、ラベリングをすればよいのです。先にラベリングをしようという意識を持ってくると、自己受容のプロセスが飛ばされてしまい、論理でとらえようとしてしまう癖も強化されてしまいます。こころは理屈ではないんです。自分自身に自分が寄り添うことが、何よりも優先されるべきものですよ。
そのようなときに自分で自分の気持ちを否定してきた、無かったことにしてきた、無視してきた、嘘をついてきたなどがあると、蓄積されていった先で自分で自分の心がわからない、自分の感情の動きがわからない、という状態になってしまうんです。
自分の状態や考えなどを他者に開示し伝えようとするときに、言語化において困難さが出るようになります。
相手に迷惑をかけたくない、でも何かが邪魔をして「自分が努力しなくていい理由」探しに逃げてしまうという自己矛盾。
他者との会話の際に、相手に伝えるための丁寧な言語化をすることを放り投げ、相手の理解度に頼りきる。
相手への配慮、忖度を欠いた脊髄反射的な軽はずみな言動。
自分がそういった負担を相手にかけてしまっているということに気づかない人、言語化の必要性に気づこうとしない人。
厳しいことを言うようですが「努力をしないで手に入る」ものなんて、この世には存在しません。
親の七光りなど、生まれ落ちた環境や境遇で地位につけることもありますが、必ずと言っていいほど本人に中身が伴いません。
しかし、それらを指摘されれば傷ついたと感じ、反論や反撃に出る人もいる。
言い訳をして自分を守ろうとしてばかりいる人は、自ら成長の機会を失っていることにも気づきませんし、それを教えようとしてきた人を敵認識して攻撃し出すこともあります。
人に迷惑をかけたくないと思うのなら。学び、実践し、それをものにするということを、進んでやっていかなければなりません。
自ら求めてソレに近づこうとしなければ、ソレが与えられることはありません。
「言語化」「ラベリング」は、感情の抑制・コントロールを可能にし、ストレス軽減も狙っていくことができます。
まずは書き出したりしてかたちにする、どんなものでもいいからとにかく吐き出すということを意識し、頭の中からアウトプットをしましょう。
それからその出てきたものを客観視し、整理していければ、自己理解も深まっていき、これからどうしていけばよいのかも見えてくるようになります。
言語力・語彙力を鍛えていくことで、セルフカウンセリングの効果をあげていくことにもつながっていきます。