第二部|神様との距離  第二話|

第二部|神様との距離  第二話|

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第二部|神様との距離  
第二話|人生の節目

最初のお木曳の記憶は、小学校1年生の時だ。
夕食を済ませるとすぐに、公民館に集まった。2,3か月くらい毎日集まってたんじゃないかと思う。私にとっては、普段は学校の前の文房具屋のおじちゃんが、この時は先生になって、毎日私たちに踊りを教えてくれた。

これは、どこの地域でもお祭りに参加する人は、こうやって練習を繰り返すと思う。それは自分の地域に根付くことでもあり、その土地で育つということを身をもって知ることでもあると思う。
だから、それはお伊勢さんだからとかではなく、日本中、世界中のどの地域であろうが、誇り高き地域っ子になるって感覚だったと思う。

毎日、踊りを練習して繰り返して繰り返して、自信につながる。そんな経験も伊勢の場合は、毎年ある訳じゃないから、この時が小学校1年生だったとしっかり覚えている。
友だちと一緒に、真っ紺の浦口の踊り子の衣装をバチッときめて、グリスでがっちり固められたお団子に、ねじり鉢巻きをのせて、ピンでとめたら、その日は朝から一日中踊りっては練り歩くを繰り返す。

そんな一大イベントの写真は、伊勢っ子の誇りのように、友だちと抱きあってピースする姿が今でも目に焼き付いている。

たった一度っきりの幼い頃の一日で、私が上手に踊れたとか、どれほど疲れたとかなんてのはほとんど覚えていない。
でも私の人生の中で、大切なイベントだったのは、この記憶の確かさから明らかだと思う。こんなに気持ちの高まる楽しいものなら、毎年あったら、もっと良かったかもしれないし、1回きりだったからよかったのかもしれない。

中学3年生になってた私は、お白石持で綱を曳いた。受験生で、さらにもう中学生になって小1のあの頃のように地域にピタッとくっついていなかった私を、祖父が一緒にと連れていってくれた。祖父にとっては参加することが当たり前のように、法被も準備してくれて。でも祖父の町の法被は水色で、お邪魔しますの気持ちが拭えなかったのを今でも覚えている。

思春期になって、親との距離を感じるように、神様や町とも距離を感じはじめてたのかもしれない。

宮川から外宮へまで木遣りの声に合わせて大勢で並んで綱を曳いて歩いた。少なからず祖父母が地域や家族とのつなぎ目になってくれてたのかもしれないが、この時のことはあまり何も覚えていない。

この時の私はもうあまり何も感じてなかった気がする。自分のことが分からなくなってきていたから。何が好きで、何がしたくて、そもそも何者なのか。

それから数年が過ぎて、私はもう伊勢には住んでいなかった。遠く東京で大学生をしていた。それから働き始め、しばらくすると巡ってきた、お木曳の年が。

あの時の私と肩を組んでピースしてた踊り子は、立派に木遣りの中心で声を張り上げていた。その子が準備してくれた法被に袖を通して、私も綱を掛け声に合わせて練ってねって進んだ。こんなに激しく楽しいお祭りだったかと思い出しては、堪能した。帰省して参加したゲストとして。友達の活躍を見守る立場として。
すっかり伊勢っ子と言えるものが何もないような、私はどこの子なんだろうと思うような、そんな気持ちを既に持っていた。

でも、迎えてもらえることは有り難い。友達も地域も神様も何もなかったみたいに包括してくれる。

今になって思う。これは神様に関することだったんだろうか?
自分はなにものか?ってことだったんだろうか?

人生の節目節目は、静かに私たちに何かを示す。
そんな風に、お祭りは私たちに節目の姿を見せてくれる。
何も言わずに、成長の過程を見守るように。

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