20代の頃、サルバドール・ダリという芸術家を知りました。
奇抜な発言で世間を驚かせていた男。当時の私にとって、彼はただの「変な人」でしかありませんでした。
論理の枠組みで世界を捉えることに慣れていた当時の私には、彼の描く摩訶不思議な世界は、理解の外側にあったからです。
しかし、時を経て福島県の美術館で彼の作品に触れたとき、何かが決定的に変わりました。「溶けるシリーズ」をはじめとする、重力さえも従わない造形物の表現。
それらを見たとき、私は論理で彼を解釈することをやめ、ただ純粋に、彼が観測した光景に降伏したのです。
崩壊した街が見せた「超現実」
その後、震災によって瓦礫と化した街を歩いていた時、
かつて機能していたはずの街が、まるで別の惑星のような光景に変貌しているのを目撃。
日常が断片化し、積み上げられていたはずの「意味」がゴミのように散乱する光景。
皮肉なことに、その瓦礫の街の中に、かつてダリの絵画の中で違和感として見ていた「超現実」が、生々しい手触りをもって存在していたのです。
私たちは普段、自然や現実というものを、自分の都合の良い「思考の枠組み」の中に閉じ込めて理解しようとします。
「道路はここにあるもの」「建物は頑丈だ」「日常は続いていくものだ」。
ですが、一度その前提が崩れ去ったとき、現実というものは、ダリが描いたように、いかようにも変形し、溶け出し、私たちの理解を拒絶する「異形の力」として立ち現れるのです。
フィゲレスから始まった、問い
後に、ダリの故郷であるカタルーニャのフィゲレスやカダケスを訪れ、私は確信しました。
あの歪んだ地平線も、乾いた岩肌も、溶け落ちるような色彩も、すべては彼が子供の頃から見ていた「風景」のメタファーであったことに。
彼にとって、超現実とは幻想ではなく、彼が肌で感じていた「自然の真の姿」の投影だったのです。
自然とは、人間の知性で飼いならせるような生やさしいものではありません。
それは、私たちが作り上げた「意味の体系」を、一瞬で無に帰すような、圧倒的な畏怖の対象です。
現実と関係性の硬度を揺さぶる
もし今、あなたがパートナーとの関係や、対人関係において、どうしようもない閉塞感を感じているのなら。
それは、あなたが相手や自分自身を「こうあるべきだ」という硬い定規で測りすぎているからかもしれません。
「愛とはこうであるはずだ」「相手はこう反応するべきだ」。
その定規は、あなたが傷つかないために握りしめた「防衛の道具」に過ぎず、相手の魂や、関係性の真の姿を映すものではないのです。
私の調律は、あなたのその硬直した定規を、一度取り上げるところから始まります。
愛や信頼を「こうあるべき」という論理で固めるのではなく、相手との間に生まれる「超現実」のような、言葉にできない響きを観測すること。
そうして初めて、あなたは「思考の枠組み」の外側にある、本来の自分の魂の旋律で、相手と共鳴できるようになります。
あなたの関係性は、あなたが信じているほど硬く、壊れやすいものではありません。
まずはその、手放せなかった「正しさという定規」を、一度置いてみましょう。
その余白から、相手との間にある本当の絆が、静かに形を現し始めるはずです。