初めての月釜

記事
エンタメ・趣味
先日、某支部の月釜へ行ってきました。長年所属していた米国東部支部では月釜というのは無く、年に数回、各社中持ち回りで茶会をやっていました。
『日本で「釜を掛ける」場合、箱書きのない道具は出せない』と聞きました。箱書きとは、陶磁器や書画、茶道具といった作品を収納する箱に、作者や歴代の所有者たちが銘や来歴、署名や花押などを記すことをいいます。茶道の世界では馴染みの深いもので、箱そのものも鑑賞の対象となります。茶道具のおもしろさは、その由緒やそれにまつわる来歴ですが、金持ちの収集家や蔵を持っている名家の出でもないと、一般人には手が届きません。釜を掛けるのために畑を売って茶道具を買いそろえるなど、話には聞きますが、たかだか茶会のために借金をしようとは到底思いません。現在、茶道具の価値が下がっており、ヤフオクなどでお手頃にゲットできる時代のようです。
今回の月釜は、某藩の筆頭家老の茶室で行われました。寄付きの掛物は小堀遠州筆 後白河法皇の和歌、本席は千利休の禁裏茶会の礼状?とかでした。お菓子はとっても美味しかったですが、肝心のお茶はイマイチ残念。宗匠稽古で驚いたことは、抹茶の量がとても多いことです。自宅で喫する際、ついついケチっていた抹茶を多めに点てるようにしています。道具はパッと見て終わりですが、お茶とお菓子は身体に沁みとおるので、美味しいお茶を点てることが第一目標ですね。自分への教訓として肝に銘じておきます。
立派なお道具なのでしょうが、心に響かず、遠い物というだけです。席主は「どうしてこの道具をこの席に選んだのか。その道具の伝来」などを話すべきではないかと思います。単に「作者や内容」を言われても、そんなのは会記に書いてありますからねぇ。茶の湯というのは、一服のお茶を通して心の交流=一座建立が大切なのだと思います。茶会では、基本的に亭主と正客しか話しません。ですから、亭主と正客のやり取りが素晴らしいと、連客も楽しいのです。素晴らしい会話ができるよう、勉強しなければいけないと思いました。
表千家6代家元の覚々斎は、茶事では同じ道具を使ったそうです。要するに、道具よりも心の交流が大切なのです。茶懐石にしても今のは贅沢すぎます。季節感と空腹を満たす程度でいいのです。いつから「茶道具を見せびらかす」ことが主体となったのでしょう?もちろん、茶事と月釜は違いますが、本来の茶道の良さ、奥深さ、思いやりなどが薄れてしまったようです。SNSを駆使して宣伝しないことも若い層に広まらない要因だと思います。
初めての月釜でしたが、特にまた行きたいとは思いませんでした。おそらく、どこの月釜もマンネリでこんなもんでしょう。茶道人口が減っている原因はいろいろあると思いますが、道具をひけらかす茶会では、茶の湯の本当のおもしろさは伝わりません。
貧乏人の私でも楽しめる茶の湯を追求し、一座建立の少数制の月釜を個人でやっていこうと心に決めた2023年です。もっと多くの人に茶の湯の深さを知ってもらうために私なりに頑張ります。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら