2021年7月、富良野にて（エッセイ）

久しぶりに投稿します。
昨年7月、妻と一緒に北海道の富良野に行ってきました。
その後にエッセイを書きましたので、ここで公開します。

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　目を開けると、部屋はほんのりと明るく照らされていた。ベッドの右側にある大きな窓の外から、まだ光とも言えないほどの明かりが僅かに差し込んでくる。テーブルに置いてあった妻のカメラに手を伸ばし、そのスイッチを入れる。私は窓のガラスにレンズを押し付け、静かにファインダーを覗いた。
　「あれが美瑛岳、右にあるのが十勝岳」。出窓の床板に置いてある案内図を見ながら、左側のベッドで寝ている妻を起こさないように心の中で確認する。美瑛岳の左側に位置する美瑛富士の山の端が赤味を帯びてきた。私は夢中でシャッターを切り始めた。
　テーブルの上に置いたパソコンのロック画面で時間を確かめる。まだ午前4時より少し前だ。私たちの住む大阪より随分日の出が早いんだなと思い、ロックを解除して北海道富良野地域の日の出の時間を検索する。日の出は4時10分。あと10分ほどだ。そのとき、ベッドで寝返りをうつ音が聞こえ、妻が起きだしてきた。
　「今何時なの？」。私はこんなに早い時間に起こしてしまったことを詫び、もうすぐ日の出が見られることを告げた。そしてもう一度ファインダーを覗き、シャッターを切る。
　ここは、北海道富良野市にあるホテル。結婚当初に妻が見たいと言っていたラベンダー畑を見るためにやってきた。いつか見に行こうと約束してから29年もの月日が経ってしまったが、天候にも恵まれ、昨日は素晴らしい写真を撮ることができた。
　妻も窓に近づいてきて、目の前に広がる光景に見入っている。徐々に明るくなってくると、高台にあるホテルからは視界の下方に雲海が広がっている様子が確認できた。
　「私、雲海が見たかったの！」。妻が突然声を上げる。どうやら、ラベンダー畑以外にも見たいものがあったらしい。雲海を見るためには、普通は高い山に夜中に登って、夜が明けるのを待たなくてはならない。それが偶然にも目の前に広がっている。一通り満足のいくようにシャッターを切り終えた私は、興奮する妻にカメラを渡した。
　このボディの赤い一眼レフデジタルカメラは、2年ほど前に私が妻に贈ったもの。花にとまる蝶やミツバチ、雪の中を走る電車や店先の可愛い看板など、カメラに興味のあった妻は感性豊かな写真を撮り続けている。このカメラのおかげで、梅や桃の花を撮影する取材にも一緒に出掛け、昨年は妻が行きたがっていた沖縄にも取材旅行にも出かけることができた。そして、今回の北海道。ラベンダー以外にも思いがけずにご来光や雲海の写真を撮ることができ、妻は大満足のようだ。
　夢中でシャッターを切っている妻を見守りながら、私はもう一度ベッドに横たわった。昨晩は早めに寝床に就いたとはいえ、やはりまだ眠い。しかし、窓から差し込む朝日がその眠気を吹き飛ばしてしまった。朝食まではまだ時間がある。ふと気が付くと、妻は寝間着から着替え始めていた。
　「朝ごはんまでの間に、ホテルの周りの写真を撮ってくるね」。こんなに生き生きとした姿を見るのは久しぶりだなと思いながら、私は快く部屋から妻を送り出した。

　その日の午後は高速道路で眠気に襲われ、パーキングエリアで1時間も車中で寝てしまうという失態を私は演じてしまった。その間も妻は、写真を撮り続けていたらしい。そして、何とか辿りついた運河沿いの小樽のホテル。寝不足のために早めに眠りに就いた私は、また早朝に目が覚めてしまった。時間を確認すると、午前4時。また日の出の時間だ。
　窓の外を見ると、目の前には運河があり、その少し先には白みかけた海が見える。2泊とも東向きの窓がある部屋に泊まれた幸運に感謝しながら、私は急いで着替えてカメラを手に取った。
　「また日の出を取りに行くの？」。妻が目を覚まし、私に尋ねる。さすがに2日連続の早起きはこたえるらしい。起き出そうとしている妻を制し、私は部屋の扉を開けた。
　港の船を繋ぎとめるボラードに腰掛け、赤いカメラを構える。妻にプレゼントしたカメラだが、私も少しは腕に自信がある。堤防の先に大きめの船が見える。その僅か右側から赤い太陽がその輪郭を現しはじめた。望遠レンズを覗き、シャッターを切る。引き気味に、アップに、横に、縦に。姿を現した太陽は光る海に浮かび、その光を徐々に長く伸ばし、私の顔を照らし始めた。
夢中で撮り続けた写真は、およそ40枚にもなった。部屋に戻った私を、妻は寝ぼけ眼で迎えてくれた。「どんな写真が撮れたの？」。カメラの再生ボタンを押して写真を確認した妻は、「凄いね」と褒めてくれたが、それはその枚数に呆れただけだったのかも知れない。
　私たちを繋ぐ赤いカメラ。それは、あのボラードのように、これからも私たちの絆を繋いでくれるだろう。