こんにちは。千代です。
龍について考えたり、静かに心を向けたりする時間。その終わりを、どこに置けばよいのだろうと思うことはありませんか。
何かを感じるまで、答えが浮かぶまで。そんなふうに終わりを決めていると、何も起きない日は席を立ちにくくなるかもしれません。けれど、龍を思う時間は、はっきりした手応えがなくても終えてよいのだと思います。今日は、自分の暮らしへ戻るための区切りについて綴ります。
始める前に終わりを決める
たとえば、夕食の片づけが終わってから、椅子に腰かけて龍を思い浮かべる場面を想像してみてください。静かな時間を持ちたいだけなのに、いつの間にか「もう少し待てば」と時計を見続けている。そうなる前に、今日は数分だけ、と決めておく方法もあります。
時間を決めるのは、何かを呼び寄せるための作法ではありません。そのあとにある入浴や休息を、いつもどおり大切にするための目安です。長く座れたかどうかを、龍への思いの深さと結びつけなくてよいのです。
きっちり時間を計ることが気になるなら、次の用事までと決めるだけでも構いません。反対に、短く終えたい日は、その日の気持ちに合わせて席を立てます。決めた時間を守ること自体が、新たな宿題にならないようにしたいですね。
何も観えないまま席を立ってよい
目を閉じても姿が浮かばない。心に残る言葉もない。そういう時間を「まだ途中だから」と、無理に引き延ばす必要はないと思います。
観えなかったなら、観えなかった。そのまま終わることも、正直な向き合い方の一つです。終わるために薄い印象を大きくしたり、曖昧な感覚に意味を付けたりしなくてもよいのです。
龍観術について言葉にするときも、観えたことを伝えるだけでなく、観えない部分を残しておく姿勢を大切にしたいと思っています。何かを言い切れなければ、その時間が無駄になるわけではありません。
また、座っている間に明日の献立が浮かんでも、集中できなかったと責めなくて大丈夫です。暮らしのことが気にかかっている自分に気づいたなら、それをそのまま受け止めて、台所へ戻ることもできます。
続きが気になるときの置き場所
終えようとしたとき、もう一度だけ考えたい問いが浮かぶこともあるでしょう。その場合は、答えではなく、問いだけを短く書いておく方法があります。
「今度、時間があるときに考える」。その一文を添えて閉じると、今夜のうちに解決しなくてもよい場所を、自分で作れます。特別なノートでなくても、忘れないための手元のメモで十分です。
ただし、書き留めたからといって、翌日に必ず続きをしなければならないわけではありません。読み返して、もう気にならないと思ったら、そのままにしておけます。問いを残すことと、約束を増やすことは違います。
何度も同じところへ戻りたくなる日には、今日はここまでと、いったん紙を伏せる。続きを考えるかどうかは、明日の自分に任せてもよいのだと思います。
終わったあとの日常も大切にする
席を立ったら、読みかけの雑誌を開く。明日の服を選ぶ。家族に用事を伝える。そうした普通の時間へ戻ることを、龍から気持ちが離れたと捉えなくてもよいのではないでしょうか。
静かに過ごしたあとにも、洗濯物や食器はそこにあります。それらを片づける手つきまで、特別な意味で飾る必要はありません。今日の自分の生活として、一つずつ済ませればよいのだと思います。
区切りをつける言葉も、立派なものでなくて構いません。「今日はおしまい」。声に出さず、心の中でそう言って立ち上がるだけでも、自分にとっての終わりになります。
龍を思うひとときが、一日のすべてを埋めなくてもよい。何も観えないまま終えた夜にも、自分で選んだ時間があった。そのくらいの静かな受け止め方で、今夜の暮らしへ戻ってみてはいかがでしょうか。