「生きているだけで、毎日が試練の連続」
〝正解のない現代〟において、試練がない日々、試練がない人生を送っている人間はそうそういません。
みな誰もが少なからず、異なる《試練》に直面しながら、歯を食いしばりながら毎日を生きている。
加えて、現代人が1日に触れる情報量は、江戸時代の1年分に匹敵するとも言われており、
そんな中で日々、
人生の重要な取捨選択をすることは容易なことではありません。
そこで本記事では、現代を生きるあなたに伝えたい〝霊界からのメッセージ〟を抜粋してご紹介。
全てを受け取る必要はありません。
ですが、もし少しでも「たしかにね…」と、心に引っかかるものがあるならば、お役立ていただけますと幸いでございます。
* 本記事でご紹介している「ことたま」の数々は、Threads(スレッズ)で日々、配信をしている私(占梅)の守護霊団からのメッセージとなっております(ココナラブログでは一週遅れで公開)
◆ 霊界からみた「墓参りをしないこと」に関する〝一見解〟を申し上げると…
| 守護霊 T
 ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
石に手を合わせることに、いかほどの意味があると思うておるのだ。
亡き御霊への思ひを伝える場として、そなたらが設けたものなれば、それ以上に何かが宿るわけではない。
いついかなる時であろうと、御霊は遠く離れた場所からつぶさに、そなたらのことを見守り、ときに憂い、ときに安らかなる思ひを抱いておるもの。
目に見えるものばかりに囚われすぎぬことだ。
◯ 守護霊「T」
- - -
以下、雑感 ↓
要は、単に「墓参り=先祖供養」ではないですよと、霊界は伝えているわけです。
どこまでいっても、石は石ですからねと。
現世を生きる我々はどうしても、目に見える物質的なものに囚われがち。
「想いが全て/念が全て」と言われても、なかなか敬っている「実感」が得られないことに耐えられない方々が、いつの時代も一定数いらっしゃる。
そういった方は、本質が「形」にはないということを理解した上で、形ある「お墓」というものを頼りに、節度をもった墓参りをすればよろしいのかなと。
強いて言えば、生前から「お墓に魂がある/いる」という物質的な価値観があまりにも強すぎると、ご自身が帰幽なさった時に、
「お墓に行けばいいんだ!」→「あれ? なにもない…あれ…?」
と、かえって彷徨ってしまうので、何を信仰なさるかは自由ですけれども、ほどほどに。
◆ 霊界からみた「本音と建前」に関する〝一見解〟を申し上げると…
| 守護霊 A
 ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
なにごとも正直に申すことを美徳であると思うておる者がおられますが、その「正直さ」がいかなる想いに端を発しているものなのか?
見誤ってはなりませぬ。
相手を慮らんと、言葉を選び、時におこなう秘めごとは大我なれども、我が身可愛さから、己の本心を秘めてはおけぬ、言わねば気が済まぬというならば、それは立派な小我にございましょう。
なにごとも、おもひみたま(想念)こそが肝要にございます。
◯ 守護霊「A」
- - -
以下、雑感 ↓
嘘か本当かという部分が重要なのではなく、その動機にどんな想いが込められているのか?
この部分こそが重要であると、霊界は伝えているわけです。
特に「言わなきゃ気が済まない」という衝動に駆られている状態はもっとも危険で、一体それは誰のためなのか?
大義名分を振り翳しているようでも、その実、自分がスッキリしたいだけなんじゃないか?
言わずもがな、自分のためだけに〝正直〟な人は、人間関係で揉める傾向にあります。
しかし、本人とすれば「正直=美徳」だと信じて疑わないので、自分側にも原因や落ち度があることになかなか気づかない。
こういった難しさがありますね。
◆ 霊界からみた「人見知り」に関する〝一見解〟を申し上げると…
| 守護霊 K
 ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
何をぬるいことを申しておるのだ。
己が歩み寄らぬということは、歩み寄れぬ分だけ、相手に余分に多く歩み寄ることを強いておるのだ。
理由がなんであれ、これは傲慢であろう、違うか?
もっとも、歩み寄れぬと申すのであれば、それならそれでもよい。
ただし、歩み寄れぬことで己が被る人事百般、その全て、委細を承知の上で引き取ること。
であるならば、それもまた、己が選んだ道。
何の問題もあるまい。
◯ 守護霊「K」
- - -
以下、雑感 ↓
かなり強い言葉なので、補足をさせていただくと、守護霊Kは「人見知り」という性質を否定しているわけでも、社交的になれと言っているわけでもない。
ここがまず、今回のまなざしでは重要なポイント。
要は、自分が人見知りであり、どうしても変われないというのであれば、それならそれで、自分は一般的な生き方ではない、別の生き方をしていくんだと、
あくまでも〝主体性〟をもって、腹を括って、自分なりの「生きる道」を選び取っていくが肝要ですよと、この点を示唆しているわけです。
いかなる理由であれ、自分が変われないことを免罪符として、他者に責任を負わせる行為は、どう考えてもプラスに働かない。
成人している以上、自分で自分の人生は切り拓いてゆかねばならないですよと。
◆ 霊界からみた「完璧主義」に関する〝一見解〟を申し上げると…
| 守護霊 B
 ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
思い上がりが、己の首を絞めることになるのです。
あなたがたは生まれながらに未熟な存在。
たとえ肉の歳を重ねようとも、その未熟さが完成することは決してない。
にも関わらず、己は未熟なところなどない、あってはならぬと自分に言い聞かせ、その願いが叶わぬ度に憂いておる者が多くいらっしゃる。
それを傲慢と呼ぶのですよ。
◯ 守護霊「B」
- - -
以下、雑感 ↓
誤解なきように補足をさせていただくと、守護霊Bは努力を否定しているわけでは、決してないのです。
ただ、自分自身に未熟さを許せない姿勢や、許せないがゆえに落胆を繰り返してしまう姿勢を指して、傲慢ではありませんかと、問いかけているわけです。
未熟ではない、完全無欠な人間なんているのですか?
人は自分が未熟であると自覚するからこそ、より成長ができるのではないですか?
とね。
本当に謙虚な姿勢とはなんたるか?
ここを問われているようにも感じるメッセージだなと。
◆ 霊界からみた「自死」に関する〝一見解〟を申し上げると…
| 守護霊 L
 ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
あってはならぬことです。
ひとたび、この現世という大海に生まれ出ずることを選んだからには、あなたがたはその与えられた限りある時間と肉体をつかって、泳ぎ続けねばならぬのです。
時には泳ぎ疲れたと感じることもあるでしょう。
しかし、泳ぎ続けて疲れを感じぬ者など、この世のどこにもおりません。
〝泳ぎ続ける理由が分からぬ〟
そう申される方もおりましょうが、泳ぎ続ける理由をはじめから分かっている者もまた、どこを探してもおらぬのです。
泳ぎ続ける最中でようやく、いくつかの仮説を直観する時が訪れる。
泳ぎ続けることにこそ、意味があるのです。
◯ 守護霊「L」
- - -
以下、雑感 ↓
人霊ではなく自然霊らしい「まなざし」ですが、最大のポイントは、
〝生きる理由が明確に見つかっている人なんて、そもそもいない〟
ここでしょうね。
多くの人が明確に「生きる理由/意味」を見出せているわけではない。
というか、考えてたことすらない、という人の方が大半でしょう。
しかしそれでも、多くの人が、このままならない現世でもがきながらも懸命に、日々を生き続けている。
その過程で「もしかしたら、自分はこのために生まれてきたのかもしれないな…」そんなことを〝直観〟する時があったり、なかったりする(あれば儲けもん)
少なくとも、完全に受け身で嘆いているよりは、何度すっ転んでも立ち上がって、能動的に「自分の生きる理由/意味」と向き合った方が、
幾分か、後悔のない人生を歩むことはできるのかなと。
◆ 霊界からみた「職場で叱責を受けること」に関する〝一見解〟を申し上げると…
| 守護霊 M
 ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「磨かれた」のだと、まずは思うことです。
叱責を受けて喜ぶ者などおりますまいが、さりとて人は、磨かねば輝かぬもの。
時に理不尽な物言いに対して、胸のあたりが痛むこともございましょうが、その度にあなたがたという魂の器、人としての器というものは〝研磨〟されておるのです。
「憎し」と思うてはなりませぬ。
己の未熟さがまた一つ、映し出された。
磨かれたのだと思うて、益々お励みになることです。
◯ 守護霊「M」
- - -
以下、雑感 ↓
誤解なきように補足をしておくと、守護霊Mは「叱責をする側」を無条件に肯定しているわけでは決してないのです。
理不尽極まりないことも、時にはあるでしょうと。
しかし、ここで重要なのは、
こういった経験を通して、自分の感情をコントロールする方法、相手の言葉を理性的に選別する方法、自分を守る方法を身につけること。
この部分にこそ目を向けてごらんなさいと、世で「新人」と呼ばれる人々に対して、鼓舞しているわけです。
少々 恐ろしいことを申し上げるなら、ここで毎度「傷ついた」からと、逃げ癖がつきすぎると、40代50代で益々、苦労することになります。
なぜなら、本来 乗り越えるべき壁を避け続けても、いくら歳を重ねたとて、同じ壁が何度でも立ちはだかるようになっているからです。
波動修正にしたって、あれは逃げるためのものではなく、むしろ乗り越えるためのものなのですよ。
* Threads版では、毎朝6時ごろに別の「霊信=霊界からのメッセージ」もお届けしております。
以上、今週の「ことたま」でした。
冒頭でも申し上げたとおり、これはあくまでも私(占梅)の霊団によるメッセージとなっております。
ですから、あなたがもし、近しい問題に直面されているとしても、人それぞれケースバイケースでしょうし、
あなたのことを見守っている守護霊団は、全く〝別の見解〟を示すかもしれません。
守護霊の言いなりになる必要はありませんが、正解のない時代を生き抜いていかねばならない私たちにとって、
〝霊界のまなざし〟は時に、暗闇に差し込む〝ひとすじの光〟として、あなたの足元を照らしてくれるかもしれない。
もしも本記事をお読みになって、なぜだか分からないけれども「ピン」と来た、ご縁を感じた方がいらっしゃるならば、いつでもお越しください。
あなたの守護霊団ともども、お待ち申し上げております。
\ 無料で読めます/
▼ 各種 施樹・鑑定はこちらから