案外「嫌なら嫌って自分が言えるようになるため」と言う可能性もありますよね。
まぁ、それは世間的にはそれこそ、みっともないのかもしれません。
また、
言ったけど伝わらなかった。と言うのもあるかもしれませんし、
事を荒立てたくないと上辺で言いながら問題を隠蔽した可能性もありますし、
本当は、そもそも関係を持ちたくなかった(最初に断れなかった)だけかもしれませんし、
実は何か考え直した方がいいことがあるのかもしれません。
もちろん、本当にそこを離れた方がいい場合もあります。
ただ、何か。
「こういう時はこの対応(1つ)がすべて!」みたいになっているのを見ると、
「自分がどうしたいか・どうなりたいか」と「相手の出方」によるよな。
と、考えてしまう私はひねくれものなのかもしれません。
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時に平気で反論する私は、「言い争う」と言うのがそもそも当然のように選択肢にあります。
もちろん、喧嘩を吹っ掛ける場合は「引き際を見極める」も同時に存在します。
その「引き際の見極め」に関してはずいぶん勉強させられました。←
喧嘩を吹っ掛けられた相手もずいぶん苦労したのかもしれません(笑)
それに「窮鼠猫を噛む」と言いますからね。
窮鼠猫を噛むの解説
【読み方】
きゅうそねこをかむ
【意味】
窮鼠猫を噛むとは、絶体絶命の窮地に追い詰められれば、弱い者でも強い者に逆襲することがあるというたとえ。
故事ことわざ辞典
相手の逃げ道を塞いではいけないのです。
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時と場合にはよりますが、相手によっては言いたいことを言った方がいいこともあるような気がするのです。
だって、それを最後にするのですから。
だけど。
それこそこれが最後だから! と言いたいことをぶちまけるのもなんか違うよな。と思うこともあります。
やっぱり、
普段から「No」と言う練習が必要なのかもしれません。