神との対話① 第一章 P92

神との対話① 第一章 P92

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先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。
一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
裏を返せばこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。
その時、あなたの視座はひとつ上に上がることでしょう

P92
『いわゆる「事故」というもの、曲がり角の向こうから疾走してくるトラックや、空から降ってくるレンガについては、出来事を大きなモザイクの一片として受け止める術を覚えなさい。

あなたがたは、それぞれ自分を救済する計画を実践するために、この世にやってきた。救済といっても、悪魔の誘惑から自分を救うという意味ではない。悪魔などというものはないし、地獄も存在しない。あなたがたは、真の自分を実現しないという忘却の淵から自分を救おうとしているのだ。』
事故という出来事からも、自分に何をもたらすのか?
なぜ、このような出来事を起こしたのか?
自分に深く問いなさいということです。
自分で創っている現実だとするならば、自分に取って意味のない・不利になるような現実は創らないのです。
嘆き悲しむのは、幻想を見ているからなのです。
そして、その本当の答えが見つかった時、その答えが真実であり、究極の世界(⇔幻想)を見た瞬間でもあるのです。

究極の世界を見つけた時、真の自分をすべて思い出すのです。
私達はただ忘れているだけなのです。
『あなたがたは闘いに負けるはずがない。失敗するはずがない。だから、闘いというよりは、単なるプロセスと言うべきだ。
だが、それを知らなければ、いつももがいていなければならないと感じるだろう。

人生は闘いだと信じ、闘いを中心に宗教をうちたててしまうかもしれない。その宗教は、闘いこそがすべてだと教えるだろう。だが、それは間違った教えだ。プロセスの進行は闘いではない。身をゆだねていれば、いずれは勝利が得られる。

事故は起こるべくして起こる。生命の要素があるときにある方法でぶつかり、ある結果を引き起こす。あなたがたは、自分なりの理由で、その結果を不運と呼ぶかもしれない。だが、魂の課題という点から考えれば、不運ではないかもしれない。』
「あなたがたは闘いに負けるはずがない」
これは、忘却の淵から自分を救うことを言っています。
そしてそれは闘いではなくプロセスなのです、思い出すというプロセスなのですね。
神は結果を求めません。
いつもプロセスが大切であると述べています。
プロセスとは結果にいたるまでの過程ですから、

勝つプロセスも負けるプロセスも同じように大切なのです。
そう考えるともう勝ち負けはどうでもいいわけなのです。
だから、勝ち負けという闘いはないわけです。
その観点からすると、「いずれ勝利が得られる」という表現もちょっと違っていて
「栄光を得られる」という表現の方が適切だと思います。

プロセスという経験するために、行動を起こす。
そして経験から気づきを得て、自分を再創造することが「栄光」なのでしょう。
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