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『もう一度念を押しておこう。偶然というものはないし、なにごとも「たまたま」起こったりはしない。個々の出来事や冒険は、真の自分を創造し、経験するために、あなたがた自身によって呼び寄せられるものだ。
<マスター>はみんな、それを知っている。だから、神秘な<マスター>たちは、人生で(あなたがたが言う)最悪の出来事にぶつかっても動揺したりはしない。キリスト教の<マスター>たちは、このことを理解していた。
たとえば、十字架にかけられてもイエスは動揺せず、それどころか十字架を予期していた。イエスは歩み去ることもできたのに、そうしなかった。
イエスはどの時点でも、プロセスを停止させることができただろう。現にその力をもっていた。だが、そうしなかった。彼は人類を永遠に救済するために、十字架にかかることを選んだのだ。「見よ、わたしが何をなしえるかを」と彼は言った。真実を見なさい。そして、あなたがたにもそれが、それ以上のことができるのを覚えておきなさい。
わたしは、あなたがたが神であると言ったではないか。だが、あなたがたは信じない。自分を信じられないなら、わたしを信じなさい、と。
イエスは憐れみ深かったから、誰もが天国にこられるように―自己を救済できるように―と願い、ほかに方法がないなら、イエスを通してひとが天国にこられるように、世界に衝撃を与えることを願ったのだ。彼は人間の悲惨と死を打ち破った。
あなたも同じことをするかもしれない。
キリストの最も偉大な教えは、あなたがたが永遠の命を得られるだろうということではない。あなたがたには永遠の命があるということだ。あなたがたは神のもとで兄弟となるだろうということではない。あなたがたは兄弟だということだ。あなたがたは求めたものを与えられるだろうといことではない。すでに与えられているということだ。』