神との対話① 第一章 P78

神との対話① 第一章 P78

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先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。
一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
裏を返せばこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。
その時、あなたの視座はひとつ上に上がることでしょう

P78
『誰もあなたがたについて、決めつけたりしないだろう。神がどんな理由で、どんな方法で、自らの創造物を悪ときめつけるといのか。あなたがたが完璧で、すべての行為が完璧であることを望んだのなら、神ははじめからあなたがたを完璧なものとして創ったはずではないか。

肝心なのは、あなたがたが自分自身を発見し、真の自分、ほんとうにそうありたい自分を創り出すことだ。だが、それとはべつの選択肢がなければ、真の自分を発見して創り出すことはできな
い。

それなのに、わたしが与えた選択肢のどれかを選んだからといって、あなたがたを罰したりするはずがない。あなたがたに第二の選択をさせたくなかったら、どうして、そのような選択肢を与えるだろう。』
ここに大切な言葉が隠されています。
「神ははじめからあなたがたを完璧なものとして創ったはずではないか」
そうなのです。完璧を目指すために、不完璧な人間を創ったのです。
不完璧な状態を体験しておかないと、完璧な状態も体験できないからです。

だから、私達は不完璧で良いのです。短所がたくさんで問題ないのです。
そのように創られたのですから。
(短所も本当は短所ではなく、個性なのです。あなたという存在を彩る個性のひとつなのです。)

ただ、大切なのはたくさんの体験をして、気づきを得て、魂を進化させ、完璧であることを経験することです。
「不完璧な人間だから私には出来ない」ではだめなのです。(だめも語弊あり、有益ではないですね)
一歩踏み出し、体験をすることが大切なのです。
そして、神はその体験の結果を気にもしていないのです。

大切なのは、一歩を踏み出し自分を進化させる「過程=プロセス」なのです。
プロセスが一番重要なのです。
そのために神はすべての選択肢を私達に自由に与えているのです。

例え、世間一般的に「悪」と言われるような第二の選択肢も与えているのです。
なぜなら、「悪」を体験していなければ「善」も体験できないからです。
『非難する神の役割をわたしにふり当てる前に、そこを考えなくてはいけない。あなたのさっきの質問に対するわたしの答えはイエスだ。あなたは報いを恐れずに好きなことをしていい。

だが、その行為の行き着く先を心得ておくほうがいいだろう。行き着く先とは結果である。自然のなりゆきとして起こることだ。報いや罰とはまったく違う。結果は結果にすぎない。自然の法則に従い、起こったことを受けて当然に生じることだ。

すべて物質的な生命は自然の法則に従う。この法則を思い出して適用すれば、物質的なレベルでの生命は支配できる。あなたがたの目には罰と見えるもの、あるいは悪とか不運と思われるもの、それは自然の法則の結果でしかない。』
自然のなりゆき=因果応報
すべての行動には、その行動に基づく結果があるのです。
大切なのはその結果を自分の責任とし、受け入れることなのです。

結果については良い悪いと評価されることがありますが、それは他人の評価。
良い悪いも自分で決めて良いのです、自分で責任を取れば・・・
その時、自分で責任を取ると決めた時、魂の進化が起こるのです。
他責にしていては、いつまでも魂の進化にはつながらず、本当の自分を見失ってしまうのです。


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