神との対話① 第一章 P75-76

神との対話① 第一章 P75-76

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先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。
一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
裏を返せばこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。
その時、あなたの視座はひとつ上に上がることでしょう

P75-76
『地獄はあるが、あなたがたが思っているようなものではないし、あなたがたが教えられるような理由で地獄を経験するのでもない。』
「地獄とは何ですか?」(ニール) 

P76
『それは、あなたがたの選択、決定、創造の最悪の結果を体験することだ。わたしを否定する考え、あるいはあなたがた自身の真の姿を否定する考えから生まれる。当然の結果である。

地獄とは、間違った考え方から受ける苦しみだ。だが、「間違った考え方」という言葉も正しくない。なぜなら、間違った考え方や正しい考え方という区別はないからだ。地獄とは喜びの対極である。満たされないこと。自分が何者かを知っていながら、それを体験できないこと。本来の姿にくらべて卑小な在り方。

それが地獄であり、あなたがたの魂にとって、それよりもつらいことはない。だが、地獄はあなたがたが空想するような、永遠の業火に焼かれるとか、際限のない苦悶にさいなまれるとか、そういったものではない。何のために、わたしがそんなものを創らなければならないのか。』
地獄が
「自分が何者か知っていながら、それを体験できない場所」
新しい気づきだとおもいます。

また、ここで見落としてはならないのは
「なんのために、わたしがそんなものを創らなければならないのか。」
ということです。
自分の分身である私達に「地獄」のような体験をさせることなど全く考えていないのです。
地獄も私達が創造してしまっている世界なのです。
『わたしが仮に、あなたがたは天国に「ふさわしくない」という、まったく神らしくないことを考えたとしても、あなたがたの過ちに復讐したり、罰したりする必要がどこにあるのか、あなたがたを見捨てれば、それでもすむではないか?どんな復讐心を満たすために、あなたがたを筆舌につくしがたい永遠の苦しみに突き〇とす必要があるというのか?

正義のためだというなら、天国でわたしと一体になることを否定するだけで、正義の目的は達成されるではないか。そのうえ、永遠の苦しみを与える必要があるだろうか。』
わざわざ自分の分身である人間に永遠の苦しみに〇とす必要はあるのか?
子供や身内がふさわしくないことをして「罰」を与える必要はあるのか?
そんなことをして誰のためになるのか?ということです。
『不安にもとづいてできている宗教でいわれるような「死後の世界」はない。だが、不幸で、不完全で、欠点が多く、神の偉大な喜びから遠く離れた魂の経験というものはある。

あなたがたの魂にとってそれは、地獄だろう。だが、わたしがあなたがたをそこに送るのではないし、そうした体験をさせるのでもない。あなたがた自身が、真の自分ではなくなるとき、自分で地獄の体験を創り出す。ほんとうの自分を拒否するたびに、あなたがたは地獄の体験を創り出す。』
地獄すら人間は想像し創造してしまうのです。
それほど人は創造力を持っているということです。
特に自分を苦しくさせるような創造力は得意のように感じます。
これも「不安」という感情から来るのでしょう。
「不安」がほんとう自分ではなくしてしまうのですね。

ただ、「不安」は「愛」を深く感じるための、反対の感情なだけです。
それを少しでも本当に理解で出来ると、「不安」と向き合う姿勢が変わります。
『愛』を感じる前段階の工程であると・・・
その時、魂の進化を感じることができるのではないでしょうか?


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