神との対話① 第一章 P61

神との対話① 第一章 P61

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先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。
一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
裏を返せばこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。
その時、あなたの視座はひとつ上に上がることでしょう


P61
『絶対の領域だけでは、あなたがたも、わたしも満足できなかった。私はつねにそこに存在していたし、あなたがたもその世界からやってきたのだ。絶対の中では知識だけがあるだけで、体験はない。
知っているというのは神聖な状態だが、最大の喜びは、何者かで「在る」ということのなかにある。「在る」ことは、体験してのちにはじめて達成される。「知る」こと、「体験する」こと、何者かで「在る」ことの順に発達し、進化する、これが聖なる三位一体、神の三位一体である。父なる神とは、「知る」ことだ。父が自らについて知っていることを体験し、行動化する。
体験しなければ、何者かで「在る」ことはできない。聖霊としての神は、「在る」ことだ。息子が体験したすべてを超越して、ただ存在する。
単純に、このうえなくみごとに「在る」ということは、知ったこと、体験したことの記憶を通じてのみ可能になる。単純に「在る」ということは至福である。神の状態、自らを知り、体験したあとの状態だ。これこそ、神がはじめからもとめていたものである。』
絶対の領域は「瞬時」にその状態になると言われています。
その状態になるプロセスを経験することができないのですね。
それではその状態で「在る」ということに確信が持てない。
だから、時間を掛けて体験ができるこの物質的な世界である宇宙を創ったのでしょう。

「知っていること」を「体験」し、十分な気づきを得て「在る」状態になる。
(「在る」ここでは自分が自分で自分を定義出来た状態を指すのだと思います。)
自分で自分を定義し「自分はこうだという存在」で在ると言い切ることが出来る状態。
これが「至福」の状態なのですね。


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