神との対話① 第一章 P51

神との対話① 第一章 P51

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先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。
一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
裏を返せばこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。
その時、あなたの視座はひとつ上に上がることでしょう

p.51
『だが、「存在のすべて」は、自らを体験的に知ろうとした。このエネルギー―純粋な、見えず、聞こえず、観察できず、したがってほかの誰も知りえないエネルギーは、自分のすばらしさを体験しようとした。そのためには、自分のなかにある比較対象の基準を使わなければならないと気づいた。
そこでいみじくも考えた。一部は全体よりも小さいはずだ。それなら自らを分割すれば、それぞれの部分は全体よりも小さいのだから、残る全体を振り返って、すばらしさを知ることができるだろう。
そこで、「存在のすべて」は自分を分割した。栄光の一瞬に、「これであるもの」と、「あれであるもの」とになった。はじめて、「これ」と「あれ」が分かれた。しかも、どちらも同様に存在している。また、「どちらでもないもの」も存在している。

こうして、突然に三つの要素が生まれた。ここにあるもの、あそこにあるもの、ここにもあそこにもないが、こことあそこが存在するためには存在しなければならないもの。
つまり、あらゆるものを包みこむのは無である。空間を包含するのは、非空間である。部分を支えるのは全体である。
このことは理解できるだろうか?
ここまでは、わかっただろうか?』
外側に比較対象するものがないから、神は自分の内側にその存在=比較対象できるものを創ったのです
神は自分を深く知るために、自分に内側に自分以外の自分と違うもの(他人)を創ったのです
自分を体験するために、神は自分を細分化し、それが魂であり、たくさんの違う魂を創ったのです。

自分、他人、すべてを包む神(エネルギー)
そのエネルギーは目に見えないもの、すべてが神の一部なのです。


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