みなさま、こんにちは!ベリザでございます。
生命には、いろいろな形があります。
私たちは普段、目に見えるもの、触れられるもの、言葉で説明できるものを中心に「存在」というものを考えているかもしれません。
けれど、自分の思い込みや執着を静かに見つめていくと、生命とは私たちがコントロールできる次元を超えたものだと気づかされます。
「こうでなければならない」
「これは良い、これは悪い」
「こうなるはずだ」
知らず知らずのうちに、物事を自分の基準だけで決めていませんか?
一度その判断を脇に置き、目の前にあるものをそのまま観てみる。
そこから、新しい気づきが生まれることがあります。
生命も同じです。
生まれること。
成長すること。
老いること。
亡くなること。
そして、また生まれること。
人は「生」と「死」を分けて捉えます。
けれど、ベリザの根源である禅においては、生も死も含めたこの一瞬の現実をどう生きるのかという問いそのものです。
そこで大切になるのが、無心です。
無心とは、何も考えないことではありません。
自分の都合や先入観、執着に心を縛られず、その瞬間をありのままに受け止めること。
ある意味、マインドがない状態とも言えるかもしれません。
そして、そこから求められる行動を選んでいくことです。
無心とは、決して何もしないことではありません。
気づかないふりをすることでも、心をごまかすことでもありません。
むしろ、自分の中にある軸を正直に観ることです。
行動とは、物理的な動きだけとは限りません。
無意識に何を選んでいて、意識的に何を選ぶのか。
たとえば、過去に心残りや罪悪感があるとき。
「あのとき、こうしていれば」
「なぜ、あんなことになったのだろう」
そんな思いが、心の中を何度も巡ることがあります。
その悲しみや喪失を、無理に消す必要はありません。
悲しいなら、悲しみの奥を知る。
「私は今、何を悲しんでいるのだろう?」
「誰が、何を悲しんでいるのだろう?」
そこまで静かに観てみる。
否定しない。
決めつけない。
まずは、知ることです。
誰かの悲しみや後悔を、あなたが自分のものとして背負っていることもあるからです。
「この寂しさは、どこから来ているのだろう?」
そうやって観ていくと、少しずつ本当の状況が見えてきます。
本当のことが見えてくると、心はスッキリしていきます。
そして、今、自分にできることへと軸を戻していく。
考えすぎて動けなくなるのではなく、
今この瞬間に気づき、必要なときに動ける状態を意識できる状態にしておく。
観ること。
知ること。
選ぶこと。
そして、動くこと。
すべては、ひとつにつながっています。
「水子の魂百まで」という言い伝えがあります。
この言葉をどのように受け止めるかは人それぞれですが、大切なのは目に見えないものを必要以上に恐れることではありません。
心の中に残っている記憶や思いに、ただ静かに向き合うことです。
ひとつひとつの生命を、自分の尺度だけで決めつけないこと。
生命にも、人の一生にも、いろいろな形があります。
すべてを思い通りにすることはできません。
けれど、それは「何もできない」ということではありません。
私たちには、その瞬間に何を感じ、何を見つめ、何を選び、どう生きるのかという自由があります。
過去への執着を少しずつ手放すことは、過去を忘れることではありません。
今日という一日を生きるための活力の根源
あなたを取り戻すことです。
生命とは、あなたの選択です。
あなたが何を感じ、何を見つめ、どのような一歩を選ぶのか。
そこには、あなたにしか歩めない生命の形があります。
そして、魂とは必ずしも身体だけを必要とするものではないのかもしれません。
目に見えるものだけでは説明できないもの。
記憶として残るもの。
誰かの心に残るもの。
言葉や行動を通して受け継がれていくもの。
私たちは、そうした「形にならないもの」にも人生の中で出会います。
だから、恐れるのではなく、まず観てみる。
決めつけるのではなく、知ろうとする。
そして、今ここにある自分の生命を、ただ生きる。
あなたは、その感謝になれますか?
自分に感謝を向けられますか?
それが全てを超越するもので、言葉にはできないものであっても。
本当の感謝とは本来、そのような解き放つ働きがあるものです。
あなたに感謝を。
ベリザ