「霊脈霊視とは何でしょうか」とよくご質問を頂きます。
目に見えないものを視ている、という話は、
どうしても胡散臭く聞こえることがございます。
そのご指摘される気持ちも理解しておりますので、
できるだけ正直に、自分の言葉でお伝えしてまいります。
霊脈とは、土地と人に流れる氣の通り道のこと
白山山麓で育ちながら、祖父の修行に連れられ、山の中をよく歩きました。
場所によって空気が違う、ということを、子どもながらに感じておりました。
清流のそばは氣持ちがすっとする。湿った谷間は、妙に重い。
あれは気のせいではなく、霊脈の違いだったと、今は視えております。
霊脈とは、自然の中を走る氣の通り道でございます。
川に流れがあるように、山に尾根があるように、
目には見えないけれど確かに存在する筋道。
その流れが豊かな場所では、人の心も整いやすい。
澱んでいる場所では、縁や運も詰まりやすくなるものでございます。
人の体にも、同じような通り道がございます。
霊視で視るのは、そこに流れている氣の状態でございます。
霊視とは、言葉になる前の感情を視ること
霊視は「未来を当てる」ものではございません。
視ているのは、今ここにある氣の傾き、縁の状態、
心の深層に沈んでいる澱みでございます。
未来は、今の流れの延長線上にぼんやりと視えることがある。
ただそれは、潮目の読みであって、
「絶対に」断定できるものではございません。
もっと正確に申し上げると、
視ているのは「言葉になる前の感情」でございます。
「彼が冷たくなった」とおっしゃるとき、
その言葉の裏には、もっと細かい感情の層がございます。
不安なのか、悲しいのか。
あるいは、自分が何か間違えたのではないかという罪悪感か。
さらにその奥に、「自分は愛されるに値するのか」という、
もっと古い問いが眠っていたりする。
霊視を開くと、そのような層が視えてまいります。
相手の内側も同じでございます。
冷たい態度の裏に、整理できていない感情の温度が残っていることがある。
嫌悪ではなく、言葉にすれば戻れなくなると感じている迷い。
表に出ているものと深層にあるものが食い違っているとき、
そのずれを正直にお伝えするのが、私の役目でございます。
なぜ「霊脈」と「霊視」を組み合わせているのか
修行の中で気づいたことがございます。
心の問題は、心だけの問題ではない、ということでございます。
縁の通り道が澱んでいると、どれだけ気持ちを整えようとしても、
流れが戻りにくい。
反対に、霊脈の澱みをほぐすことで、
感情や縁の動きが変わっていくことがある。
だから鑑定では、相談者の内側の状態だけでなく、
その方を取り巻く縁の氣の流れ、霊脈の状態も合わせて視てまいります。
根源から視て、整える。
それが「霊脈霊視」という言葉に込めた意味でございます。
「視える」ことを、どう受け取っていただくか
これは今でも、心に持ち続けていることでございます。
視えます、と言うのは簡単なことでございます。
けれど、視えた内容が相談者の心に届かなければ、何の意味もない。
大切にしているのは、視えたことを「鑑定結果」として渡すのではなく、
「そう、それが苦しかった」と感じていただける言葉に整えてから届けること、でございます。
霊視はあくまで手段。目的は、ご相談者様が少し楽になること、
これからどう動けばよいかが見えること。
そのために、霊脈を視ております。
胡散臭いと感じながら読んでくださった方にも、
少し伝わったなら幸いでございます。
くくり|霊脈霊視師